私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

佐藤公美 × 金原由佳 トークショー レポート・『シェイディー・グローヴ』(1)

 恋人(関口知宏)に別の女性に乗り換えられてふられた主人公(粟田麗)は、酔ってかけた電話で映画配給会社に務める男性(井浦新)と知り合った。その彼を翻弄しながら、主人公はかつての恋人にストーカー的な行動を繰りかえす。

 病んだような男女を描いて不可思議な印象を与える、青山真治監督の映画『シェイディー・グローヴ』(1999)。昨年10月にリバイバル上映されて、佐藤公美プロデューサーのトークもあった(青山氏は昨年3月に逝去)。佐藤氏はクレジットされていない作品も含めると15本の青山作品に携わったという。聞き手は映画ジャーナリストの金原由佳氏が務める。

 今回はディレクターズ・カンパニー作品特集の楽日の上映だが、青山氏はディレカン最末期の黒沢清監督『地獄の警備員』(1992)にて監督助手を務めたディレカン最後の世代であるという(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【ディレクターズ・カンパニーの末期】

佐藤「青山監督は黒沢監督の助監督をしていたんですけれども、ディレクターズ・カンパニーの制作作品には参加されてはいないと思います。ただ私自身もそこの場にいたという意味で…。

 お蔵入りになってしまったVシネマで、万田邦敏監督で。ディレカンが会社を清算した後の話なんですけど、社長の宮坂(宮坂進)さんから万田さんに連絡があって、Vシネマをつくるから監督をしてほしいと。ギリギリガールズというセクシーアイドルグループがあって、その方たちを主演にセクシーなビデオをつくってほしいというビデオメーカーからの依頼です。何で万田さんに白羽の矢が立ったのか(笑)。相当な大冒険ですけど、万田さんは快諾されてやることになったんですね。5人のガールズがアカレンジャーアオレンジャーみたいに赤青黄白黒のランジェリーをつけてその上からフレンチコートを羽織って。万田さんはマシンガンを持たせたいと言ったんですが、さすがに準備できなくて、工事現場のドリルをマシンガンに見立ててガールズたちに構えさせる。ディレカンの原宿の事務所にスタッフルームができて。諸監督はその場にはいらっしゃるはずもないんですけど、つわものどもが夢の跡というような濃い空気が満ち満ちていました。制作を開始してクランク・インしたんですけど、万田さんにシネフィル魂が出て、ビルの屋上でガールズたちに『はなればなれに』(1964)みたいにダンスをさせたいと。ミュージカルふうに、エキストラも含めてみんなで屋上で踊ったんですね。それをオフラインで見たメーカーの方がお怒りになって(一同笑)仕上げをつづけられないと。クランク・アップまではしたんですけど、完成することはなくて。万田さんが何かの授業か講座かで上映したことがあるっていう噂を聞いたんですけど、私自身は見られてなくて。そのチーフ助監督が青山さんでサード助監督が私でした。

 そのギャラをいただけなくて宮坂さんを宮益坂の喫茶店に呼び出して、青山さんと私と同じ立教大学の映画研究会にいた江良(江良圭)さんと3人で宮坂さんと会ったんですね。そういう払えなさそうな呼び出しって逃げるプロデューサーが多いんですけど、宮坂さんは堂々といらして払えないと(一同笑)。宮坂さんのすごいところだといまでは判るんですけど「ごめん、払えない」とすごくはっきり言われて、私たちは厭だったんですね。若かったし、立場も弱かったですから。でも青山さんは「この話はもうこれで終わり」って二度と蒸し返さずに次の仕事をやろうと。それは自分の下の演出部を守っていないといまなら言えるかもしれませんけど、青山さんの中にある宮坂さんへのリスペクトというか、怒りはあっても。当時そういうことを私も若いながら感じ取って。ディレクターズ・カンパニーから自分たちが受け取れたもののほうが、はるかに大きいなと。労働の対価としては意味が違うので、本来はもらわなくてはいけないんですけど」

【青山監督のキャリア初期 (1)】

金原「とある監督にインタビューを申し込んだら何故か青山さんが来られて「監督は来ませんが助監督の自分がインタビューに応じます」と(一同笑)。そんなことがあるのかと驚いて。自分が演出部を見ていたので、監督の言葉としてインタビューにしていいですって。多分、青山さんの言葉を監督のそれにしてはいけないと思って記事にしなかったような記憶があるんですけど。他の監督の現場で混乱しているときに青山さんがほとんど演出をしていたそうで、助監督だけど既に監督としてすごいと業界でとどろき渡っていたんですけど」

佐藤「大学時代に青山さんは8ミリ映画を結構たくさん撮ってたんですけど、ある時期に8ミリは封印して世の中に一切出さないって監督本人が決断して、現状そうなっています。それで助監督になってから監督デビューするまでの数年間で、演出力は飛躍的に変わったというか。当たり前かもしれませんけど、黒沢さんや万田さんといったあこがれの監督たちの現場で助監督をして、運営というか撮影をどう進めていくか吸収していく姿はものすごく鮮やかでした。いっしょに8ミリをやっていたから余計に感じたというか」(つづく

 

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