【ディレクターズ・カンパニーの記憶 (2)】
長谷川「『太陽を盗んだ男』(1979)を撮ってさあどうすると思ってたんだが、角川春樹に嫌われたりして、どうやって監督するかと悩んでたんだな。
相米(相米慎二)はずっと子分で、その2級下ぐらいに日活の助監督試験が再開されたんだ。おれのころは試験がなかったんだよ。それで難関くぐって入って来たのが根岸(根岸吉太郎)と池田(池田敏春)。優等生だよ。根岸はディレカンつくる前にロマンポルノとかでもう10本撮ったって言ってたな。そこで負けてるよな(一同笑)。それで相米と根岸と持ちかけたのが、監督どもを集めて会社つくんねえかということ。今村プロとか個性的な監督の個人プロダクションはあったんだよ。今村プロとか創造社とかな。創造社も撮るのは大島(大島渚)さんだけだし。だから監督だけの会社って言ったら、奴らも乗ってくれて。日活が3人、ピンク映画から3人、自主映画系から3人、9人でつくろうと。「GORO」って雑誌で黒沢(黒沢清)とかと対談してたんだな。池田も入れてくれって根岸と相米が言うから日活は根岸・相米・池田とおれで4人。9で収めるにはピンクが伴明(高橋伴明)と井筒(井筒和幸)で2、自主映画が黒沢と石井(石井聰亙)と大森(大森一樹)で3。9はおいちょかぶのカブだよ(一同笑)。『太陽』の9番もそれ。おれはばくち打ちだからな。
ディレカンがずっとつづいてればおれも1本は撮ってるよな。おれは給料20万だと言ったらしいんだが、給料という形ではなかったんだな。契約金をプロ野球選手のように決めて月払いにすると。年俸300万で契約して月25万払う。例えばPR映画をやって監督料が150万だったら、そのまま会社に入れる。自分の年収分は稼がにゃいかんというルールで、稼げないと馘…にすればよかったんだけど、稼げなくても来年は頑張れよということでな。おれもPR映画は結構撮ったぞ。ポール・ニューマンのCMもディレカンの仕事だな。ポール・ニューマンのギャラは1000万を越えて、おれも500万ぐらい取ってるが、それは会社に。
相米がなんか撮って赤を出したんだな。おれは連合赤軍の映画をやる気になってたから、あさま山荘が5000万で売りに出されてたのを3500万まで値切って、500万の手付けを打てばあしたから使えるというところまで持ってったんだが、そのころに井筒の奴のバカなインタビューを読んだんだ。生意気を言いやがって、おれはそれを目にしたんだよ。ディレクターズ・カンパニーなんていうけど、所詮はゴジプロダクションだから、ゴジが映画をつくってつぶしゃあいいんだと。このままだとあいつの言う通りになるなと。500万しか投資しなくてもそれを取り返すために映画って走っちゃうもので、走れば映画は大体できるんだ。苦しいけど。ディレカンつくってなきゃ赤軍の映画をやってたけど、会社つくってしかも井筒が生意気言うから、いま会社をつぶしたらまずいよなと思って。まだ監督全員が撮ってはいなかったと思う。手付けを打つの控えたんだよ。撮れなかったのをディレカンのせいにするわけじゃないが、自分のせいなんだが。映画ってね、どっかで踏ん切らないと完璧な体制ではできないんだな。特に監督主体だと。プロデューサー主体だと、金さえあれば監督はみな言うこと聞くから。なんか繰りごとになったな(一同笑)」
【今後の展望】
長谷川「こうやって昔の撮影現場の写真を見ると、やっぱ映画を撮りたいよな。長谷川は何を撮ったらいいと思う? 43年も撮ってないんだ。いわゆる原作ありの企画は、どうもおれはダメでな。コピーというか優等生というか、話題作はそうだよ。何でおれが43年も粘っているかというと、自分が撮りたい映画がいいんだよね。そうじゃないと客に失礼だよ。綺麗ごとを言うようだが。ギャラがいいしこれを撮れば次も撮れるし、みたいな監督がいることを怒ったりしないが、自分がそうやるのはつらいんだな。
あさま山荘事件は20年前に書き上げた脚本があるんだが、とても2~3時間じゃ終わらない(一同笑)。おれが次回作やるときは必ず美術は種田陽平に決めてるんだが(場内にいらっしゃっていた)その陽平に言われたのがネットフリックスみたいな媒体を使ったらどうだと。10時間あってもいいし。いろいろ考えている段階なんだ。もうちょい何かないかとタイトルだけ浮かんでいるのが「ピースボート殺人事件」。
この会場は気に入らないんだな(一同笑)。国立アーカイブは(借りた会場でなく)自分のとこなのに時間だから出てけって言うんだな。
おれはこういう人間だが、死期が近いと撮るんだよ。30歳でデビュー作を撮ったときも、もう命はないと思ったんで。去年あたりからまた湧いてきたんだ。嬉しかねえが。死期が迫ってるから来年撮りたい。本当にありがとうだが、まじだから。長谷川も頑張るから、みんなも頑張ってくれ。って、おれ態度でかいな(一同笑)」