【映画と演劇】
黒沢「『SHARING』(2014)のときもですが(『共想』〈2018〉の)主要な登場人物が演劇をやっている設定ですね。演劇を持ち込むのはどういう狙いで?」
篠崎「自分の学科が映像や舞台、ダンスをやってる人たちがいて。映画をつくることに関しては『死ね!死ね!シネマ』(2011)というのを既に1回撮ってまして、それに映画を撮ることだと不必要に自己言及的になるというか。自分が勝手を知らないことがいいと『SHARING』では、映画をつくることではなく演劇を入れようと。
(教授役で)出ていただいている兵藤公美さんはシェアリングでも同じ役柄で。兵藤さんのワークショップに何度かお邪魔して、俳優がどう変わっていくのかを目の当たりにしたんですね。ぼく自身は俳優じゃないので、ある感情にもとづいたことはなかなかサジェッションできないんですが、兵藤さんは俳優なので、すごく的確に俳優に対して言葉を投げかけて(言われた俳優を)見ているとどんどん変わっていく。それが面白くて。台詞を書いて兵藤さんに読んでいただいたら “私、こんなこと言いそう” と。若い俳優が急に辞めると言い出したらどういうふうにしますかって訊いたら、まずパワハラとかがないか。演出家からパワハラがあったらケアしなきゃいけないから、何で裏方に回ろうと思ったか訊くと。じゃあそういうふうに」
黒沢「ただ篠崎は演劇を取り入れているけど、自分の映画で俳優に対してはそういう演出はしないよね。さっきテイクワンと」
篠崎「しないですね。3歩前に出てとか細かく指示したこともあったんですが、そうするとロボットみたいにしか見えなくて。上手い人がやれば間をつないでくんでしょうけど、ぼくが言っても俳優は委縮するばっかりで。キャスティングするまでは悩むけど、その人のやりやすいように。書かれた台詞はちゃんと言ってほしいけれども、意味内容が変わらないで言いやすいのがあれば、事前に聴いたり。当日でのアドリブはないですけど」
黒沢「監督によっては100回やらせるとか」
篠崎「しないですね。黒沢さんは、相米(相米慎二)さんの助監督だったときに100回以上やらせて101回とか102回とかになると前の調子に戻ると。それだったらテイクスリーくらいでいいんじゃないかと。俳優も疲弊するし。マスターショットを撮ってからアングル変えてもう1回撮るとか、カット割りを考えておけばそんなことしなくていいし、スタッフも疲れる」
黒沢「ぼくは演劇には近寄らないようにしてますけど」
篠崎「思い出したんですけど中学3年で演出したことがあって、学芸会で(笑)。じゃんけんで負けたかで、シェイクスピアの『リア王』を」
黒沢「どういう中学(一同笑)」
篠崎「隣のクラスは、ぼくらに対抗して『マクベス』。普通の中学ですけど、そのときそうなった。ぼくは剣劇のシーンを入れてくれと。最後にキングクリムゾンのスターレスあんどバイブルブらックが流れると。で、これは(自分には)向いてない、俳優に手本を見せられないんです。やっぱり自分は言うだけだなと」
黒沢「演劇をいまもいくつか見てますけど、歌舞伎も面白いけど、演出の参考にしようとか取り入れようとかはよもや思わない。全く別なものにしか思えない」
篠崎「でも転形劇場がお好きで、大杉連さんとかの舞台もご覧になってますよね。ああいう無言劇。黒沢さんの作品でも登場人物がたたずんでたり、彷徨したり。それは演劇的というわけではないけど、意識はありませんか」
黒沢「意識はしてないどころか、影響されまいと思ってます。ただ普通しないような動きを俳優に要求したり。そこ行ってカメラのほう向いてくれとか。そうしないと映らないからですけど “ここが観客席だと思ってくれ。演劇ならできるでしょ” と都合よく言ってます」(つづく)