私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

石井岳龍 × 長谷川和彦 トークショー レポート・『逆噴射家族』(2)

【企画・脚本】

石井それで誘ってくれたのでこの『逆噴射家族』(1984)の原型みたいな話をゴジ(長谷川)さんにしたら、まず「お前も好き勝手にやってきたんだからちゃんと大人になれ」と言われて、脚本をちゃんとつくろうよと。その通りだと思いましたし、スタッフもいままでいっしょにやったことのないプロの人たちで固めて。撮影はたむらまさき(田村正毅)さんとかいろんな人に来てもらって。脚本の小林よしのりさんは私がつれて来たんですけど。小林さんと私で考えたアイディアをゴジさんにぶつけて、すると主役は親父でいくべきだとか。現場は高橋伴明さんが仕切ることになって。

 いっしょに『人魚伝説』(1984)も進んでましたね。あっちは根岸(根岸吉太郎)さんがプロデューサーで、池田(池田敏春)さんが監督」

長谷川「そうだった。石井のホンをつくるのには、おれはうるさかったよな。ホンづくりだけで30回ぐらいミーティングしてるから」

石井「2年半ぐらいかかって、こんなに推敲するんだと。面白いからこれでいいじゃんと思ってたけど、全然ダメだってことで(笑)」

長谷川「この準備期間中に交通事故で半年、ムショに行ったんだな。37歳のときだから、クランクインは出て来てからだったな。入るときに相米相米慎二)と池田に後を頼んだぞと」

石井「延々(ミーティングを)やってこれで撮れるんだろうかって不安もあったけど、そのうちにゴジさんが交通刑務所に行くことになって(一同笑)脚本を見てくれる人がいなくなってどうするんだと。その時点で脚本に神波(神波史男)さんにも入ってもらって、相米さんと池田さんも。結構ふたりは、親身になっていろいろ言ってくれましたね。ディレクターズ・カンパニーに入るまではふたりを全く知らなくて、食えないおっさんたちだなと思ってたんだけど(笑)みんなすげえ面白いんですよ。それぞれが世界観を持っているし、人間としても優しいし。癖はありましたけど(笑)。それぞれの映画観、脚本観を聞いて「どうしてこれじゃなくてこうなんですか」みたいな話がちゃんとできました。いまでも私の宝ですね。監督ってだいたい友だちいないですから、ね?」

長谷川「「ね?」って言うな(一同笑)。おれにとっての『逆噴射家族』(1984)の使命はこの8ミリ兄ちゃんをプロにするってことだったかな。だから何回も台本ミーティングをやって、その間のおれは企画プロデューサーとして頑張ったと思うよ。石井もだんだん乗ってきてくれて。それで石井は立派にプロになったよ。それがおれの自慢だね。自慢しようと思ったらムショに入っちゃって(笑)。でも面白い映画ができたよな」

石井「最初は何でここまで脚本にこだわるんだろうと。だんだんやっていくうちに見えてきて」

【現場の想い出】

長谷川「ディレカンの1本目だからな。毎週監督が集まって企画会議とかやってたよな。(監督業だけでなく)プロデューサーもできて当たり前。石井は人の作品のプロデュースはやってないか」

石井「後で自分の映画のプロデュースは3本ぐらいやりましたけど、ほんとに大変ですよね」

長谷川キャメラはたむらさんだったよな」

石井「たむらさんは三里塚のドキュメンタリーとか『竜馬暗殺』(1974)とかドキュメンタリー的なのが鮮烈なカメラマンだと思ってお願いしたんですけど、人間をしっかり撮るというか。分厚い映画事典みたいなの持ってて、私がこうだって言ったら「いや、それじゃつながらない」とか。一応は私も大学で映画を学んでるんですけど(笑)たむらさんを尊敬してたんで言うこと聞こうと思って、そのへんのせめぎ合いがありました。こう撮りたいって言っても、なかなか聞いてくれない」

長谷川「たむらさん、お前のこと何て呼んでた? 監督?」

石井「忘れましたね(笑)。終わったら酒をいっしょに飲んで、あの人チェーンスモーカーでタバコばっかり吸うんでそれでちょっと…。あれで自分もタバコやめましたからね」

長谷川「おれ、昔お前のこと何て呼んでた? 聰亙か、石井か?」

石井「…忘れましたね(一同笑)。結構いっしょに酒飲んでたんですけど」(つづく