私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

長谷川和彦 × 水谷豊 トークショー レポート・『青春の殺人者』(4)

【『青春の殺人者』までの道】

 長谷川監督は東大時代にアメリカンフットボール部に所属した。

 

長谷川「おれがフットボールやってたときの4年生のキャプテンは溝手さんといって国家公安委員長やってた。東大としては強かったんだよ。おれは2年で。

 5年目にまだ卒業してなくて、1年のときはボート部だったから選手登録は4年できるんだ。おれらは強い学年で、そういう次はだいたい弱い学年になるんだ。フットボールはもう終わりだと思ったら「ゴジさん来年もやりましょうよ」って下級生が言うんだよ。でも下級生の中に入るのもなって思ったら「じゃあキャプテンにしますよ」って(一同笑)。やってたら今村プロの試験に受かっちゃったんだよ。(今村昌平氏の弟子筋の)浦山桐郎監督ってのがいて浦さんのシナリオ学校のゼミとってたんだよ」

 

 長谷川氏は今村昌平監督『神々の深き欲望』(1968)などに参加した。

 

長谷川「おれは、幡ヶ谷?の火葬場の裏にある今村プロの事務所にいたんだよ。家賃2万円の。契約上の給料は2万5000円で『神々の深き欲望』の途中から給料が出なくなってな。お姉ちゃんとアパートに住んでたんだけどアパート代も払えなくて、管理人夫婦と称して事務所に住んでたんだよ。そしたら今平は給料も払わないのに1万円とるんだよ。「家賃折半だ」とか言い出して(一同笑)。壁を押したら外が見えるみたいなひでえ家で。そこへ相米相米慎二)のバカが来て。おれの姉ちゃんの女友だちの彼氏、というかヒモだな。生意気に質問するんだよ。「映画って面白いですか」。お前に言われたくねえよ。お前はきょうもただ飯食って帰るんだろう?(一同笑) 真面目に答えたんだな。「面白いからやってんだよ」みたいに。相米が本当に映画をやるとは思わなかったな。おれが行くところについてきて、日活に行くとつれて行ってくれとか。学生運動やって映画をやりたがるというのもありかと」

 

 神代辰巳監督『青春の蹉跌』(1974)の脚本を手がける。

 

長谷川「何でこんなくだらない小説をやるんだってな。おれの前に2、3人プロの脚本家が書いてるんだよ。まだ家に転がってるよ。クマ(神代)さんが気に入らなくて直せって。原作はフットボールのフの字もないんだ」

水谷フットボールは印象的でしたね」

【その他の発言】

 飲み会の写真も映された。長谷川氏は連合赤軍を映画化する構想もあった。

 

長谷川「新宿のプラという飲み屋だ。深作(深作欣二)さんもいるな。ここで連赤をやるぞって言って若ちゃん(若松孝二監督)に相談したんだよ。こんな厚い台本書いて読ませたりして。撮る撮るっておれが撮らないから若ちゃんは「先に撮っちゃったよ」って。おれの台本も結構採用して、盗作っていうんだよ(一同笑)。作さんはいい人だったよな」

水谷「『傷だらけの天使』(1975)をいっしょにやってます」

 

 長谷川氏はいまも新作の構想を常に考えているという。

 

水谷「3本目あったら出ますよ。もう裸にはなれませんけど」

長谷川「どんな役をやりたいんだ」

水谷「『相棒』(2002〜)というのを長くつづけてきてるんで、監督は若いときからぼくを知ってるんで当然違うものを…」

長谷川「次回作で前から “毒 × 痛快(一瞬の涙)” ってコピーを使ってるんだ。親殺しを痛快と感じるかどうか主観はあるだろうが。豊の役は泣いてない。泣くのはかたぐるまのシーンぐらいだろ。あとは反省もしてない。『太陽を盗んだ男』(1979)も同じだな」

水谷「監督の中にある世界だったら出たい俳優はいっぱいいると思いますけど、ぼくにいちばん権利があるんじゃないですか(一同笑)」

長谷川「権利じゃねえ。義務だ。お前がずっと『相棒』やってるからおれは撮れない(一同笑)。また相棒が代わったな。相棒は古いの使ってるんだから、監督も古いの使ってくれ(一同笑)。3作目はまだ新人監督賞の範囲だからな。対談した岩井(岩井俊二)の新人監督賞は、おれがやったんだよ。監督協会じゃあんなものテレビじゃねえかって言われたけど面白えものは面白いっておれが強引にやったんだ。だから今度はお前が76歳の新人監督賞を選んでおれに感謝を返せって(一同笑)」

 

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