私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

押井守 × 石川光久 トークショー レポート・『天使のたまご』『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』(2)

【『天使のたまご』(2)】

押井「自分(観客)が抱えてる以上のものは見られない。自分に引き寄せて見てもらえれば、もしかしたら愉しめるかもしれない。映画は何かを与えてくれるものじゃないと思ってるんですよ。

 ぼくがつき合ってるおっさんで、スイスで『天使のたまご』(1985)を見てそれで日本に来たっていう変わり者とか。あと『ガルム・ウォーズ』(2015)を撮るためにカナダに行って、砂漠で撮影してたんですよ。砂漠の中に200人ぐらいしかいない町がぽつんとあって、そこのホテルの主人の息子が『天たま』のレーザーディスクを持ってた。すごい偶然。サインしたんだけど、そういうこともあって、どこで誰が見てるのかも判らない仕事をしてるわけ。意外なところで『天たま』の話を聞かされて、あれ見て人生がちょっと変わりましたみたいな人もたまにはいる」

石川「アニメーションをやってると夜、眠れないときがあるんですよ。そのとき必ず見るのが『天たま』で間違いない(一同笑)。何度助けてもらったか判らなくて、私にとっては生命維持装置」

【『攻殻機動隊』と『イノセンス』の発端】

石川「押井監督はプロダクションI.Gにとっては救世主なんですね。『機動警察パトレイバー』(1989)、『機動警察パトレイバー2』(1993)、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』(1995)、『イノセンス』(2004)でI.Gを支えてくれたし。ずっとそう思ってきたんですが、ただ最近は救世主じゃなくてペテン師、詐欺師かなという側面もあるのかな。それが監督の不思議なところ。きょうは、いや詐欺師は間違いで救世主だということを再確認して帰りたいと思います」

押井「監督は氏神になることもあれば疫病神になることもある。天使になったり悪魔になったり。たださ、実はプロデューサーもいっしょなんだよね。助けられたこともあるけど、ペテンにかけられたこともある。お互いさまだよね」

 

 アメリカでビルボード1位になった『攻殻』とその続編的な『イノセンス』は、オファーから始まったという。

 

押井「『イノセンス』は石川が持ってきた仕事だからね。そのことは覚えてるよな? デジタルエンジンで3年間いろんなテストを繰り返してて、結局何もできなかったんだけど。石川にちょっと来いって言われて、3年もスタジオ離れて何やってんだと。そろそろ真面目にアニメやらないんだったら縁切るぞみたいな話だったわけ。どんな企画をやるのって訊いたら3つあると。2と3と9。『攻殻』のパート2、『ルパン三世』、『サイボーグ009』っていう意味。どれか1本やってくれと。『攻殻』のパート2をやれって意味で、ルパンとサイボーグは当て馬だよね。当時はCGや実写に頭を突っ込んでて、アニメを真面目にやらないとあかんのじゃないの?って。ちょうど他に企画もなかったし。そういう経緯でぼくがやりたくてつくったというより、あくまでオーダーを受けてつくった。

 『攻殻』のときも呼ばれて行って『犬狼伝説』(学習研究社)の企画を持ってったわけ。その企画書を持ってたけど読んでもくれなくて、士郎(士郎正宗)さんの原作をテーブルに放り出されて「あんた、これやんない?」って。映画が決まるときはそういうケースが多い。寿司屋の2階で原作を置かれて始まったわけで、熱海に引っ越したばっかりで家のローンが払えなかったんで、だから引き受けた。出会いは概ねそんなもので、自分がやりたくて暴れまわってつくったようなものは大体うまくいかない。

 監督のやりたいこととプロデューサーのやらせたいこととは一致しない。(『イノセンス』の)当時はまだこだわりがあって、うーんまた『攻殻』やるのかと思ったの。もう1回『ルパン』に挑戦するのも何だし、『サイボーグ』は時代的に無理じゃない?っていうさ。監督の企画の因縁は面白いというか縁なんだね。どんなにやりたくても縁がないものはできない。無理を重ねてつくると記憶には残るけど、不遇に終わるっていうさ。

 『天たま』はぼくがやりたくてしょうがなくてやったもので。『攻殻』『イノセンス』は道を開いたところがあって、特に『攻殻』は監督としての人生を結果的に変えてくれた」

【『イノセンス』の想い出 (1)】

押井「『イノセンス』はいろいろあった作品だけど、ぼくがやったアニメーションの中では大きな仕事だった。すごい予算でつくったから」

石川「一方通行っていうか、帰り道を考えないで総動員でやってくと。お金は45億円ぐらい集めたんです。映画だけじゃなくてテレビとゲームの3つでお金を集める仕組みをつくって。まず原作を許諾してもらって、I.Gがその原作の窓口になって3つをつくっていくという、現実的に難しいところに入っていきました。

 最初は海外のお金を持ってこようとしてワーナー、フォックス、ドリームワークスとか。でも脚本が判りづらいということで、向こうはゴーストライターを立てることを条件にお金を出すとか。それはお断りして。どうしてドリームワークスが『イノセンス』に興味を持ったかというと、内容もあるけどコンビニのシーンですね。コンビニでの3分間をパイロットとして持って行って見せたら気に入って、向こうとしては出資には入らないけど権利を買おうと言ってくれたり」

押井「コンビニを1回真面目にやるぞって抱負があったんだよね。あの3分間に10か月ぐらいかかったんじゃないかな。物量がすごかった。棚に並んでる商品の1個1個を全部つくったからね。缶詰や瓶のラベルはCGじゃなくてテクスチャーを貼ってあるんで。テクスチャー用に描いてもらったのが2000枚近い。それを三次元上にまとめていくのが大変で。カメラワークを先に決めて、それに合わせて原画を作画してもらって。カメラがあちこち回り込んだりもするんで大変。背景を描くだけで、5~6人で4~5か月かな。それがみんな美術監督クラスで、あんなことは二度とできないかな」(つづく