私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

押井守 × 石川光久 トークショー レポート・『天使のたまご』『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』(4)

【『イノセンス』の想い出 (3)】

 『イノセンス』(2004)は石川氏と鈴木敏夫が共同でプロデュース。

 

石川鈴木敏夫さんのすごさも教えてもらいましたね。いろんな人の力を借りて、あの当時だからできた」

押井「敏ちゃんの話はいまのいままで忘れてたよ(笑)。宣伝プロデューサーってことで、それと『イノセンス』ってタイトルを決めて、あとは主題歌。

 『攻殻機動隊』(1995)はマイナーで大して動員もしなかったし、話題になったわけでもない。『イノセンス』は宣伝も派手だったね。いろんな人間が出てきた。糸井重里まで。それは確かに鈴木敏夫のプロデュース。ただ彼の力をもってしても『イノセンス』が爆発的に大ヒットしたかっていうと、しなかったんだよ結局!(笑) その責任は誰がどうとるんだって話はいまだにあるわけ。鈴木敏夫の宣伝は違うんじゃない?とも言えるんだけどさ、あの中身だからしょうがないのかな。つくってるときも思ってたからね。えらく哲学的な作品になっちゃって、ドラマもストーリーもほとんどないし。『攻殻』はSFアクションだって言い張れる余地があるけど。『イノセンス』は当時持ってた哲学というか身体論について語りたかった。

 現場があそこまでやるとは思ってなかったんだよ。止められなかったし、止めようとも思ってなかった。あれだけの人間が集まったから、内輪揉めが激しかった。仲裁で疲れ果てたけどね。職人なんで、自分のやり方しか認めない。毎日喧嘩でどっちか辞めるって話になっちゃって、辞められちゃ困る。なだめたりすかしたり。アニメーションの監督って必要な判断をいくつかすることと、人間の相手をすること。実写映画で役者の相手をしてるほうがよっぽどらくだよ。役者さんは基本的に監督の言うこと聞いてくれるし、面倒なおっさんでもそばにメイクのかわいい女の子でもつけとけば、すぐに機嫌が直るしさ(一同笑)。アニメーターはそういうわけにはいかなくて、仕事の評価しか気にしない。お金も関係なくて、そういう世界のしんどさもあるけど、自分の想像を超えたものが上がる歓びがある。だからいまだにアニメーションをつくろうと。予算の安い仕事でも、思わぬ仕事をしてくれる人が必ずいる。

 3本とも違った形で世の中に出て運命も違うけど、こうやってスクリーンにかけてもらえるのは監督として嬉しいことなんですよ。おそらくぼくが生きてる間はどっかにかかるんだよ。結果は当時出せなかったかもしれないけど、自分がやるべきことをやって間違ってなかった。間違ってるって言う人もいっぱいいるだろうけど。うちの奥さんが言ってた(笑)。『イノセンス』の間違いは素子が出ないことだって、石川が怒られてた。「だめじゃないの、勝手なことやらせちゃ。ほっとけば何するか判らないんだから」って(一同笑)。それは詐欺の部分で、素子を出すと前の作品を引きずっちゃうから。最初から考えてて、あまり言わなかったけど。(素子が出てこないという)コンテは現場の人間以外は見ないんだよ。現場のラインプロデューサーは別として、スポンサー周りのプロデューサーでコンテ読んでる人はひとりもいないよ。だからアニメーションはいままでいろんな作品がつくれて、宮(宮崎駿)さんも出崎(出崎統)さんも富野(富野由悠季)さんもコンテで好き放題やってるからね。最近は途中にチェックが入るようになってきたけど、宮さんは『風の谷のナウシカ』(1984)で徳間書店の偉い人がラッシュ見たいって言ったときに「ふざけるな」って一喝したんだよね。職人は完成物以外を見せないんだよ。音も入ってない生のフィルムを外には見せないと。いまはデジタル化されたから簡単に見せることができて、いろんな意味でアニメーションの世界も変わってきた。ハリウッド方式が何故ダメかというと、そういうこと。

 ただひとつだけ言えるのは監督が必要な判断を下す、そのために監督はいるんだよ。やらなかった作品は、ぼくに言わせればことごとく敗退する。どんなに嫌われようが必要な判断はある。判断をすることが、アニメーションを映画にする唯一の方法だよ。年寄りの繰り言になりつつあるんだけど(笑)ぼくの目の黒いうちは、自分の現場はそれで通すつもりなんだよね。ぼくも上の連中を老害だって言ってたんだけど、ぼくもその歳になったから。Roh-GuyのTシャツを知り合いのおっさんにもらったんだけど(一同笑)気に入って、ここ一番というときに着るようにしてる。

 3本とも違う判断をしていて、いちばん極端な判断をしたのが『天使のたまご』(1985)。いちばん無難な判断をしたのが『攻殻』だね。『イノセンス』は、当時はそれしかないと思ってたけど、いま思えば危険な判断をしてた」

【ディテールのこだわり (1)】

押井「4Kのでリニューアルした『攻殻』と35mmの『天たま』と『イノセンス』は、3本とも画質にこだわってやったんですよ。最初の『うる星やつら』は富士フィルム東宝さんの東京現像の関係でそれしか選択肢がなかった。

 自由になって真っ先に使ったのがイーストマンコダック。当時はイーストマンでアニメは少数派だった。その高感度を使ってみたくて『天たま』も『攻殻』も撮ってます。高感度で露出を絞って、それでアニメーションの抜けをよくしたかった。ゴミや傷を絞り込んじゃう。抜けをよくして、絵を撮影してる雰囲気を外したかった。なかなか大変で、『天たま』は背景が暗いんで。イーストマンのロッドナンバーも揃えてもらった。フィルムの去年の型番と今年の型番とでは、色が変わっちゃうんです。だからロッドナンバーがつながったものを揃えて、冷蔵庫に入れといた。レンズも変えたくなくて、撮影台は1台。普通はもっと多くて、撮影台を100台使う作品もある。するとレンズが全部違って、色も全部違うんですよ。重郎(杉村重郎)さんってカメラマンが、この作品を気に入ってくれて「おれひとりで全部撮る」と。撮影台1台で撮ったから1日に2~3カットしかできなかったと思うけど。背景の暗いところには、七郎(小林七郎)さんがセルを置いてサインペンでタッチを入れてます。スクリーンじゃないと見えないかな」(つづく