私の中の見えない炎

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押井守 × 石川光久 トークショー レポート・『天使のたまご』『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』(1)

 『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)や『機動警察パトレイバー』(1989)、『機動警察パトレイバー2』(1993)などで知られる押井守。押井監督の代表作『天使のたまご』(1985)、『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』(1995)の4Kリマスター版、『イノセンス』(2004)が5月にオールナイトでリバイバル上映され、トークも行われた。プロダクションI.G石川光久プロデューサーも急遽参加。聞き手は「アニメスタイル」の小黒祐一郎氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

押井「今回は文芸坐のリニューアルということで。場所は違うんだけど高校生のときから通ってて、高校2年からだから文芸坐さんとは52年くらいのつき合いですね。学生のときは、週1回は必ず来てた。自主制作の映画を売り込んだこともある。ラジオのディレクターを1年くらいやったけど、そのときに来たこともある。なつかしいなという気もするけど。

 『天たま』がいちばん最初? 最後だったら間違いなくみんな死んじゃう(笑)」

【『天使のたまご』(1)】

 『天使のたまご』を初めて見る観客は7〜8割が挙手した。

 

押井「不安になってきた(笑)。痛い目に遭った記憶が残ってて、自分にとってはかなり不幸な作品。上手く世間に出してあげられなかった娘みたいな。不用意だったんだけど、なんか言われるとぼくは傷つきやすい(笑)。当時としては、アニメーションでやれることを全部やったっていう。『イノセンス』と同じで、そのときにできることをとことんやった作品はそれぐらい。『イノセンス』は大作だったんだけど『天たま』は少人数でこつこつつくった工芸品みたいな。その後につくったものの原型にもなったんですよ。何やっても『天たま』になっちゃうとも言われて、自分の中ではナーバスな領域。他のは何言われても平気なんだけど『天たま』だけはちょっと。

 いちばんイケイケだったときなんですよ。何やってもいいと思ってた。徳間書店さんでつくったんだけど、作家としてつくったというか、印税しかもらわないという契約で監督料はゼロ。脚本料もゼロで売れた分の印税だけ。映画ってそういうふうにつくってもいいかと思ってた時期で、いまは全然思わないんだけど。

(娘に見せるために『天たま』をつくったという噂は)半分ぐらいほんと。自分がつくるものの中に女の子が出てきてたから、それを1回真ん中に据えてやってみようかなと。面はゆい思い出だけど、娘に会えなかった時期の作品。見てもらってはずかしくないものをつくろうと思っていて、ちょっと真面目に構えちゃったかもしれないね。ギャグもひとつも入ってない。いちばん最初の企画はギャグだった。深夜のコンビニに卵を抱えた女の子がふらふら入ってくる話だったんだけど、イラストレーターの天野喜孝を相方に選んだ時点で方向転換した。えらく真面目なファンタジーに。もはや娘は40ぐらいのおばさんになったし、小学5~6年の息子もいるからね。

 スタッフも(内容は)何やってるんだかよく判らなかったと思う。初号試写が終ったときに、普通は拍手があるけど、30秒ぐらい沈黙があってそれからざわざわしてきた(笑)。脂汗が流れて、とんでもないことしちゃったのかな。スタッフも自分が電話かけて集めたし、部屋借りて動画机を搬入したりも全部やった。(現場は)西荻窪のビルを借りて、スタジオでつくったわけじゃないんです。リースだったと思うけど。ゼロから立ち上げるというのことをやってみたかったんだよね。既成の流れに乗っかってつくるんじゃないという。音楽家も自分でさがして交渉もした。プロデューサーも兼ねてたみたいな。案の定、全然売れなくて信用も失った。『パトレイバー』で復活するまで3年くらい、電話がならなくて仕事の依頼が全然来ない。ほんとに堪えた。そういう作品でよくも悪くも自分にとっては転機になった。

 でもやっぱり好きなんですよ。いまでもいいなと思うし、死んだ師匠(鳥海永行)が唯一誉めてくれた作品。意外なんだけど。宮(宮崎駿)さんとかにはぼろくそだったからね。何で鳥さんが誉めたのか訊きたかったんだけど怖くて訊けなくて、死なれちゃっていまだに判らない。「お前はアニメの世界にいいことをした」と。他の作品はほとんど誉めてもらえなくて『攻殻』はまずまずかなと言われた。『ビューティフルドリーマー』はちょっと誉めてくれた。『イノセンス』は「お前はまたもとに戻った」って(笑)。鳥さんはアートじゃなくてエンタテインメントをやってた人で、最期は『しまじろう』とか幼児アニメをやってた。だから『天たま』を誉めてくれるとは全然思ってなくて、むしろ怒られると思ってた。謎のひとつ。いろんな人にいろいろ言われて、そういうことも含めて自分の中で特殊な作品っていうさ。

 つくった後で広島系(広島国際アニメーションフェスティバル)のアートアニメやってるような人から「いつもテレビアニメをやってるあんたが何でこんなのつくるんだ?」って言われた。不本意だったみたいで、自分たちの世界でやるべきものっていうさ。あんたたちはエンタメやってるんだからロボットアニメやってろと。その人にとっては自分たちの領分を踏み越えて入ってきたっていう。

 あの当時アニメ雑誌にどういう扱いされたか知ってるでしょ!? 記事を読んでも何が何だか判らなかったよね」(つづく

 

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