私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

押井守 × 石川光久 トークショー レポート・『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』『イノセンス』(5)

【ディテールのこだわり (2)】

押井「『攻殻機動隊』(1995)も全カットにフィルターをかけて空気感を出したかった。アニメーションが宿命的に持ってる平らな絵を撮ってる感じ、それを見てる間は忘れさせたかったの。絵なんだけど絵じゃない、映像なんだっていうさ。

 『イノセンス』(2004)はデジタルになったからトレス線との戦い。アニメーションはアップとロングとで、トレス線が同じ太さなんですよ。同じ大きさの紙に描いてるから当たり前だけど、何とか変えたかった。人形の眼にカメラが寄ってくシーンで、よく見ていただくと輪郭線が細くなってく。デジタルじゃなきゃできない。アニメでカメラが寄ってくのは、絵に近づくだけなんです。そうじゃなくて対象物の距離感をどうするかというと、絵を変化させなきゃいけない。肌の色も濃度も線の太さも変わる。だんだん鮮明に見えてくる感じ。重箱の隅をつつくように、細かいことをやった。情熱があって、それに応えるスタッフがいたんだよね。こんなチャンスはないと思ったね。中身には石川は何も言わなくてスケジュールを守ってくれと。守ったよね」

石川「守ってもらいました」

【作品歴とリベンジ】

石川「『機動警察パトレイバー』(1989)のコンテを見たときにほんとびっくりして、ふるえたのはいまでも覚えてて。これを半年間でつくるっていう…。つくれたらアニメの金字塔になるぞって。そして半年でつくったんですね。

 『攻殻』はコンテも速かったけど、10か月くらいで絵を上げました。コンテで覚えてるのは、素子が俯瞰で市場を見下ろすシーン。あそこはよく動く、枚数を使うコンテでした。原画を描いた岡村天斎に、バトーが走るシーンは動いていいんだけど、ここの俯瞰はきついから動かさないで止めてくれって言われて。普通はそんなに動かさないけど、要所要所で感情をここで入れるんだってとこは動かすんですね。『パトレイバー』でも鳥の羽を膨らますところとか、話に関係ないけど。押井さんは普通の監督とは、どうしても動かしたいというところがちょっと違うんだよね。作品の肝になるところ、強弱が押井監督のコンテのすごさだなってずっとつき合ってて思いますね」

押井「素子が市場を見下ろしてるところは、しょうがないから止めにしたんだけど、そのリターンマッチが『イノセンス』の警察署なんですよ。バトーが所轄の警察署に入って行って、俯瞰でカメラが動いてる。それぞれに芝居のテーマがあって、服を脱ぎ出すお姉さんもいるし、おやじが酔っぱらってて、球に乗ってる奴もいて、みんなが揉めごとをやってる。ひとつの画面の中で、声も7か国語ぐらいが入り乱れてる。ロシア語、韓国語、北京語とか向こうの人のエキストラを集めて。ここでやらなかったということを、どっかで取り返す。『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)でコンビニがあったけど『イノセンス』でももう1回コンビニをやって、実写の『THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』(2015)ではコンビニで銃撃戦やった。執念深く覚えてる。

 『攻殻』の俯瞰で止まってるのが、ものすごく不本意だった。ダビングでミキシングの井上(井上秀司)さんに「ジブリだったら動いてるんだよな」ってぽろっと言われた。ものすごくくやしかったの(一同笑)。宮(宮崎駿)さんだったら止めるわけないけど、あれを動かしてたら終わってない。宮さんと言えども『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)では洪水のシーンはあきらめたんだよ。洪水を『崖の上のポニョ』(2008)でやったんだよ。どの監督がどこで取り返したか、見てれば判りますよ。ぼくも似たようなことしょっちゅうやってて、それが可能になるのもアニメーションの面白いとこ。ゴダールじゃないけど、そのときにやれることをやるのが映画。『イノセンス』でできなかったことも実はいっぱいあるけど。リドリー・スコットならここで妥協した部分をどこで取り返すかなとか、そういうふうに見てもらえると嬉しいかなってのがちょっとある。文章を書いてる人もお茶碗つくってる人も同じで、とっかえひっかえやってるわけじゃない。昔のものをいじり直したり、ぼくも死ぬまでそういうことをやるんだろうなと。(石川氏を見て)やらしてもらえれば…なんですけど(一同笑)」

 最後にメッセージ。

 

石川「押井さんってそんなに勤続疲労してないというか、そんなに働いてない。充電期間もあった気がしますので、次回作は愉しみにしていただいていいんじゃないでしょうか(拍手)」

押井「ぼくは元気です。15年間つづけた空手のおかげかな。歳のわりには元気であと10年はやれるっていうさ。監督がいつ仕事を止めるかは、注文がなくなったとき。ぼくは車いすでやろうとは思ってないけど。この3年はコロナで調子狂って、できると思ってたのも流れた。おかげでいろんなこと考えたし、本もたっぷり読んだ。すごい量読んで、ゲームもした。充電し過ぎて、いっときも早く現場をやりたい。

 いまは日本の映画界がかなり苦しいですよ。『イノセンス』のころのお祭り騒ぎとはほど遠い。ただやれることをやれるのが映画。そういうつもりでこれからもつくっていこうと思います。石川が使わせてくれる規模に応じてやる。ぼくの同期はほとんど止めたか死んだから。現役のアニメ監督でぼくより年上は3人しかいないんだよ。最後のアパッチ族になりつつあります。でもまだまだ元気です」