【撮影などのエピソード (2)】
山際「音楽は林(林光)さんと荻原(萩原秀樹)さんで、林さんはオーソドックスな音楽の人ですからジャズは荻原さんに頼んだんだろうと思いますね。林さんの作曲で、荻原さんがコンボしてくれたと。タイトルの曲の勢いはこの映画を象徴している気がして、感謝しています。ふたりとも亡くなられて、亡くなった人が多いですね。
トランペットの日野(日野皓正)さんの(演奏)を録音して、藤木孝さんが吹く真似(演技)をした。後で指摘されたんだけど、トランペットにミュートがくっついてないんですよ。おかしいって言われて、ぼくは穴があれば入りたい(一同笑)。(撮影)後に音を録音したのかもしれません。林さんがぜいたくにやってくれたんですね。最近指摘されて恥をかきました。
当時は目線をまたいじゃいけないというのが、日本映画の伝統だったんですね。またぐことをどんでんといって、難しいから素人はやるなという状態。そういう日本映画の文法があって、それをぼくは尊重しながらも、どっかで破りたいという気があって。ふたりを撮っておいて、ポンとアップで寄る。ポン寄りっていうんですけど、それが好きで。ちょっと日本映画の文法に異議を唱えたところはありました。自然に入り込むようにというのが当時の文法で、いまはデジタル時代で全然違っちゃっていますね。編集者がいちばんえらくて監督よりえらい。難しいところですね。テレビの仕事のときは、テレビの文法に従ったところもあります。
いまからの60年前の日本映画の文法といまの映画とは違ってきちゃって。昔がいいばっかりじゃないけど、編集者がいちばんえらいという状態は果たしていいのかと言いたいところですね。デジタル映画はこれでいいのかと(笑)。
(次回作の)シナリオを書き始めたのはあったですけど、完成しなかったですね。撮りたいというのもありましたけど、なかなか難しかったです」
【フィルムの発掘】
山際「(新東宝の映画館がなくなって)この作品をやってくれたのは新宿、大塚、蒲田でひとつずつ。大塚には見に行ったんですけど、いつのまにか終わっちゃった。見ようとしてくれてた人も見られなかったそうです。
佐川(佐川滉)さんが借金を抱えていたので、16ミリフィルムを担いで地方を回って上映する人に売ったというのは覚えてるんですけど。その後はどっかで棄てられたかなとぼくもあきらめていました。佐川さんの借金は1000万ぐらい。ぼくは佐川さんと顔を合わせると借金のことを訊いて、申しわけなかったんですが(笑)。
いまのイマジカ、当時は東洋現像所が五反田にあったけど、訊いてみても「そんな作品はありません」って。当時は現像所がネガを預かるというのが当たり前だったんですね。ネガからポジを焼いて映画館に回すときに、お金を払わないで逃げちゃう制作者がいる(笑)。現像所がネガを押さえておけば逃げないということで預けるのが当たり前。さがし始めたのが2000年ぐらいで、でもイマジカにはない。10年後ぐらいに突然、国立映画アーカイブから電話があって、ありましたと。16ミリをつくるには、当時は目黒にあったソニーPCLというところでつくったんですが、2002年にPCLが現像をやめることになって、それでアーカイブが仕方なくPCLのフィルムを預かった。アーカイブが何年もかけてひとつひとつ見ていたら「山際さんのが出てきました」って。それはネガだけでポジを焼いてくれますかって言ったら「いまのところ予算がありません」って(笑)。見つかってからまた何年か経って「焼きました」と。最後の夜に海で喧嘩する場面は、昼間に撮ってます。昔の映画はつぶしっていって、赤いフィルターをかけると夜のように見えるという。そのつぶしが昼間にしか見えなかった」
発見当時に国立映画アーカイブで最初に上映した際には、海のシーンはまだ昼間だった。
山際「いい加減にしてくれ、これじゃ見せられないということでイマジカにねじ込んで、7巻あるうちの3巻をぼくの自費で焼き直したんです。それを寄贈して、何とかなったと。ちゃんと夜になってるか気が気じゃなかったんですが、きょうのだったら夜に見えますよね、やれやれ(一同笑)」
佐川プロは消滅しており、アーカイブの収蔵作品にしては珍しく権利が明確でないという。
山際「山際さんは権利者としては認められないと。監督には著作権がないんです。アーカイブの人に権利者がいないとダメですと言われて、最初はあきらめてたんですね。佐川プロも大宝ももうない。国際放映という新東宝を受け継いだ会社も「この作品は扱っておりません」って。生き残ってるのは山際だけ(一同笑)。だから権利者として認めてあげましょうということになって、焼くことができた。普通なら会社が管理するのは当り前なんですが。(今回が前例になって)日本映画監督協会の中でも山際みたいに監督さえ生き残ってれば(権利が不明でも)何とかなるわけだから「おれも」って言ってるのも何人かはいますね」