私の中の見えない炎

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渡辺美佐子 × 井上淳一 トークショー レポート・『ひめゆりの塔』『赤い疑惑』(2)

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【『ひめゆりの塔』】

 渡辺美佐子氏の映画デビュー作は、今井正監督『ひめゆりの塔』(1953)。

 

渡辺「私が俳優座養成所の2年生のときに、黒澤明さんが『生きる』(1952)をおつくりになって、主役の小田切みきちゃんが同級生なんです。俳優座に行くと美女じゃないけど個性的なのがいるって話が伝わったらしくて、いろんな監督さんが厭な言葉ですけど面通しにお見えになって。

 今井正さんが『ひめゆりの塔』をお撮りになって沖縄の女学生として7~8人選ばれまして、養成所の先生に引率されて東映撮影所に通いました。それが生まれて初めての映画出演です。映画化される前から本や新聞で読んでいて、ひめゆりのイメージははっきりありました。自分が最後に重傷を負って、壕で先生に手榴弾を渡されて、みんなが去った後でひとりで「お母さん」って言うシーンなんですが、試写で見て「違う。こんなじゃない!」って思ったんですよ。ラッシュで泣いちゃったんですね。今井先生は「どこが不満かよく考えて。1週間後に撮ってあげるから」と言ってくださった。後で聞いたら、お金もかかるしめったにやることじゃないと。すごくラッキーだと判ったんですが、そのときは出来が悪いとそうなのかなと。家に帰って鏡を見ましたら、とにかく私は太ってたんです。平和なぽっちゃりした何ごともないような顔をしている私がいた。ひめゆりの人たちが敵兵から逃れて南へ逃げていって、食べるものもない、重傷者は置いて行かれる。そんな情況の顔では全然なかったです。私に何ができるかって言ったら、こんなぽっちゃりしてちゃいけないってことです。ダイエットって言葉はなかったですから絶食しまして、食事どきには友だちのところに行くとか家族に言って。兄のお友だちが兵役を逃れるために毎日お醤油を飲んで体を悪くして免除されたって話を聞いたのを思い出して、毎日飲んでました。まだ10代後半の私には本当につらかったですけど、とにかく食べないで。でも1週間でげっそりするわけがないんですね。とにかくもう1回、そのシーンを撮りました。またラッシュがあって、今井先生が「渡辺くん、隣へおいで」って。私は何も言えなくて。今井先生は「目がよくなったよね」って。飢えで、何か食べたくてぎらぎらしてたんですけど(笑)。そのときの経験で、俳優は自分の五体がもとになるんだって身に沁みて思いました。

 撮影してるときに、上からぽたぽた水が落ちてくるんですね。見ると高いところに照明さんが大きなライトをいっぱい組んで、私たちを照らしてくださってて。いまは小さいライトですけど当時は大きい。その照明さんの汗だったんですね。全然きたないとは思わなかったです。そんなにしてくれてありがとうございますという感じなんですね。映画はいろんなジャンルの人が集まって、『ひめゆりの塔』では100人ぐらいのスタッフがいらっしゃったと思うんですけど、大勢の人がひとつのものを一生懸命つくっていく仕事は悪くないなとそのときに思いました」

【その他の発言】

井上「小学4年生のときに渡辺美佐子さんを初めて見たのが山口百恵さんの『赤い疑惑』(1975)だったんですが、途中で八千草薫さんから渡辺さんに代わりましたね」

渡辺「すごく過酷なスケジュールでした。八千草さんが私の肉体では持ちませんと言われて、降りられたんです。台本の橋田壽賀子さんからお電話があって「八千草さんが持たないっておっしゃってるんで美佐子ちゃんどう?」って言われて。やってて私は「百恵ちゃんと三浦さんは…」とすぐ判りました(一同笑)。ふたりともすごく微笑ましくて、決してべたべたはなさらずにいい感じで、終わったころに結婚なさってよかったなと思いました」

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井上「1985年から毎年夏に原爆朗読劇をやられて、地人会で始められて、2008年から2019年は夏の会でやられました」

渡辺「私は戦争っ子で戦争の中で育って、思春期を迎える直前まで戦争。戦争は、生まれて育った中で消すことのできない大きなもの。厭なものですけど、醜いことや悔しいことを経験したんですけど、私にとっては悪いことではなかったのかなというふうに私個人は思ってます。だけど親しい人が亡くなっちゃったり、ひめゆりを含めて沖縄で大勢の方が犠牲を払ってくださったり、そういうことを考えると戦争は絶対に厭だと思います。そういう気持ちが原爆の朗読劇をやってきた源なんですけれども。

 いまの日本は不思議なくらい平和なんですね。韓流ドラマが流行ってて、私も好きですけど、韓国は北朝鮮と休戦状態で同じ民族と敵対してる。若者も2年間、兵隊に行かなきゃいけない。家族制度もはっきりしてて、戦うものがいっぱいある。だからなのか韓流ドラマは昂奮させられます。日本を見回すと、目に見えるものはない。目に見えないものはあるんでしょうけどね。

 井上さんは私たちが34年間やってきた舞台を映画に撮ってくださって、配ってくれています。『誰がために憲法はある』(2019)という映画もおつくりになって、それからのおつき合いですね。いい仕事をさせていただきました」

井上「85歳のときに、12分の台詞を覚えていただきました」