私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

渡辺美佐子 × 松岡錠司 トークショー レポート・『アカシアの道』(3)

f:id:namerukarada:20220212010345j:plain

松岡錠司監督の作品】

渡辺「松岡さんはとにかく変な監督です(笑)。初めてお会いしたのが『アカシアの道』(2001)」

松岡「おそらく1999年の末ですね」

渡辺「『さよなら、クロ』(2003)は松本でずっとロケして、学校でみんなに愛された犬が死んじゃってその弔辞を読む校長先生の役。原作では男の校長先生なのに、松岡さんは私のために女にしちゃって。後から、あの時代に女の校長はいなかったとお叱りを受けました(笑)。その後は『東京タワー』(2007)、『歓喜の歌』(2008)、『続・深夜食堂』(2017)に出させてもらいました。

 松岡さんは結構見るところは見ていてダメを出してくれて、監督さんとしては信用していました」

松岡「12本の映画を撮って、そのうち5本出てくださっています」

渡辺「そんなに出てますか」

松岡「ぼくは息子ぐらいの世代です。渡辺美佐子さんを認識したのはTBSの『ムー』(1977)ですね。足袋をつくる店のおかみさんで強烈でした。次に高橋伴明さんの『TATTOO刺青あり』(1982)のお母さん役ですね。そういう流れがあって」

松岡「ぼくは美佐子さんにお会いして最初の現場(『アカシアの道』)が、最も印象的なんですけど。ぼくは脚本と監督を兼ねて、2000万円の低予算映画。撮影は2週間くらい。準備でもてんぱって現場でうなってたら、ぼくがいることを知ってか知らずか美佐子さんが脚本をめくりながら「ほんとにあれよね。監督と脚本が同じ人っていうのは厄介よね。文句言えないもんねー」って(一同笑)。ぼくも「たしかに」と思いました」

渡辺「舞台でいつも経験することで、戯曲をお書きになった方が演出のときは難しいです。相談のしようがない。ホンはこういうふうに書かれてるけど、実際はこうしたほうがいいんじゃないですかみたいな提言もできない。別々にしていただきたいですね(笑)」

松岡認知症の役なんですけど、掃除機をかけててもコンセントが入ってない。そして鏡をじっと見るってぼくが脚本に書いちゃったんですね。美佐子さんが「認知症の人は自分の顔が判るんでしょうか」って言われて、ぼくもどうなんだろうなって判らない。何を見ていいのか、鏡の中の何を見るんですかって美佐子さんが訊く。ぼくも悩んじゃって、美佐子さんが「監督は悩んでらっしゃるから」ってカメラマンを呼んで2回やったんですね。カメラマンも悩む。1回目は鏡の中の自分の眼を見ました、2回目は眼と眼の間の微妙なところと見ましたと。みんなで悩んだのがすごく印象的で」

渡辺「私もそのシーンはよく覚えています。いまだに判りません。私たちは鏡を見るときにおしろいは?とか髪はどうかしら?とか個別にいろいろ見たり全体のバランスを見たりしますけど、認知症になったときに鏡の中の何を見るんでしょうね」

松岡「監督は想像もしてなかった。2パターンは微妙すぎて判らないくらいなんですけど、演技として確実に違うんですね。どっちを選んだかは忘れました(笑)。

 話すつもりなかったんでちょろっとだけですけど、1999年にぼくの母が急死するんですけど既に老いた母と子どもとの葛藤を脚本に書いていた。親は急死で覚悟もできてなかったんで、ショック受けてたのに何でこの題材をやるんだろうみたいなのがあったんですね。ただ美佐子さんが出るって言ってくれたことで、エネルギーをもらって撮り切ることができた。打ち上げの日に実は母が亡くなっていたという話はなるべく言わないようにしようと思ってたと言ったら、美佐子さんが「その事実を伝えてもらってたら、おそらく私の演技は変わった」「伝えないでいてくれてありがとう」とおっしゃった。覚えてますか」

渡辺「覚えてない」

松岡「そうですか。いま美しい話をしているつもりなんですけど(一同笑)」

【その他の発言】

松岡「『真田風雲録』(1963)の後で『異聞猿飛佐助』(1965)ですね。脚本は同じ福田善之さんです。篠田正浩監督の『猿飛佐助』はそういうつながりだったのかなと」

渡辺「私、出てるんですか」

松岡「見たから間違いないです(一同笑)」

渡辺「この21本は半分近く覚えてなくて申しわけないんですけど、でき上がった映画をあまり見てないんですね。映画を撮りながら、稼いだお金を使って昭ちゃん(小沢昭一)なんかとお芝居もしてましたんで。お芝居は稽古も長くて、映画を見てる暇がないんですね。それに試写会は難しい方も多くて、そういうところで初号を見たくない。ときを見て、こっそり見に伺おうかと(笑)」

松岡「美佐子さんはお客さんが来られるかどうかを心配なさってたらしくて、内藤さん(内藤由美子支配人)に恥をかかせちゃいけないとか」

渡辺「ほんとにありがたいです。こういう時代もあったんだなと思って、昔の映画を見てやってくださればうれしゅうございます」

 

 柄本明荒井晴彦両氏も場内にいらしていた。