井上 どうしてそういう太平洋戦争、戦争が終わった直後の話が好きかっていうことを少ししゃべりたいんですけど。やっぱり特殊な状況だったんですよね、戦争に負けるとか、物がないとか。それから今までのシステム、いろんな制度、そういうものが一回崩壊して、ルールとか、習慣とか、あの人は目上だとか、あの人は立派な大学出てるとか、あの人は立派な家系の出だとか、そういうことが白紙に戻った感じがすごく興味深くて。
それから特に、それまでは日本に外国から、特に白人系ていうかヨーロッパとかアメリカというところからは、宗教関係や、貿易商とか、旅人とか、政府関係者とか、そういうある種限られた人しか、少数の人しか入ってこられなかったんですけども。あの戦争に敗れて、アメリカ人を中心として何十万人っていう人間が、ま、兵隊が主にドカンと入ってきて。これはもうすごいことだと思うんですよね、日本人にとって。そういうところもすごく興味深くて。
いろいろ映像とか本とかで、機会があると「どうだったのかなぁ」って知ることがすごく好きなんですけど。ペギー(ペギー葉山)さんはホントにそこらへんの生き証人(笑)っていうか、特にキャンプの中でお歌いになってたっていうところがすごいですよね。
そこで一緒のバンドマンだったり一緒にスタッフとして働いてた方々が、僕が物心ついてテレビなんかを見始めたテレビ創成期の、多くのアーチストとか、タレントとか歌手とか、さまざまな人を一手に引き受けた大手のプロダクションを作った人達とか、そんな方々と一緒に働いたのもすごく面白いしね。
――戦後の音楽もそうですね、混乱しているというか。いろんなものが入ってきているっていう感じありますよね。
井上 中近東とか、キューバとかアルジェリアとか、そういうところからの音楽がヨーロッパやアメリカで流行って、で、日本に来たみたいな。一応経路はそうなんでしょうけど、そこらへんも面白いですよね。
だから日本人にとってみると「ウスクダラ」(?)とか「コーヒー・ルンバ」もそうだったかもしれないけど。それからペギーさんもおっしゃってたけど、アーサー・キッドっていう人が「♪しょ、しょ、しょじょ寺、しょじょ寺の庭は」なんかそういうのが日本からアメリカに行ってアメリカでちょっと流行って(笑)、また日本に来たとかね。日本人にとって「なんでー?」みたいな歌が多くて(笑)。楽しいですよね。
てふてふ
――「ドミノ」の話も。
井上 これはね、さすがに僕は「コーヒー・ルンバ」までは知ってましたけど、「ドミノ」っていう曲は実は知らなかったんですよね。それはペギー葉山さんのデビュー曲だということは、最近わかったんですけど。
この曲との出会いは(笑)、今から12~3年前になりますかね。テレビをぼんやり見ていたらペギー葉山さんが、ある歌の番組にお出になっていて「ドミノ」っていう曲を歌っていたんですけども、ちょっと最近耳にしないような言葉の運びがあって、これにもびっくりしましてね。
歌詞をまた歌わせていただきますけど「♪ドミノ、ドミノ」、“ドミノ” っていうのはドミノ倒しではなくて人の名前だと僕は思うんですけども。「♪ドミノドミノ、神の与えし天使」、神が与えた天使だっていうんですよね、ドミノっていうのは。「♪ドミノドミノ、われを悩ます悪魔」、ドミノは私を悩ませる悪魔だ。私の思いを知りながらなぜつれないのか…と、格調高い文語調で歌われているんですね。
最近そういう歌が少なくなったっていうか。たとえば「蝶は」というのを、ちょっと古い心ある方は「てふは」なんていうことがある。それが “蝶々” になったときに “てふてふ” って書いてあるのは、「いくらなんでも」っていうくらいすごく古臭い感じで、「あの人って、まだ“てふてふ”って言ってる」(笑)みたいなのがあって。
そういう時代を経てさらにここまで “蝶々” が普通の言葉として推移してきますと、“蝶々”のことを“てふてふ”ということのできる人に対しては、逆に「ただものではないな」という思いを抱きまして。
それから、詞の内容も「素敵だなー」と思ったし。なんせペギー葉山さんっていう方は「南国土佐を後にして」とか、「学生時代」とか、そういうイメージがあったんですけど、今回はぜひ「ドミノ」を歌わせていただけないかってお願いして。(つづく)
以上 “Yosui Magazine” より引用。