私の中の見えない炎

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ホンマタカシ トークショー レポート・『きわめてよいふうけい』(2)

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ホンマ「(『きわめてよいふうけい』〈2004〉)中平(中平卓馬)さんがタバコに火をつけるシーンで、なかなかつかない。普通の人は、ああはならないんですよ。子どもにマッチで火をつけてくださいって言うと、押したり引いたりしていろんなやり方をする。それで1回できたら、ずっと同じことをする。 

 でも中平さんが火をつけるところをぼくは10回以上撮影したんですけど、中平さんは毎回初めてみたいに火をつけるんですね。ぼくはリアリティーってこういうことかなんだなと思ったんですよ。リアルっぽいねっていう簡単な言い方がよくありますけど、それはほんとにリアルなのかな。

 前半はバックグラウンドの説明もしてるんですが、後半は映画の体をなしていない。中平さんのポートレートムービーで、中平さんを見つめつづけてる。43分がちょうどいいかな。ただただ中平さんを見てもらう、あるいは自分が中平さんを見たいって感じになっちゃっています。上手いことまとめるのが好きじゃなくて、写真家という特権を活かして、ただ見せるだけというのがぼくにとってはいいので。

 何かを意図すると、ぼくが見る立場だったら厭なんですね。なるたけないようにしたつもりです。改めて見て、直したいところはあると思いましたけど(笑)。

 ぼくの中では写真と動画とで変えているつもりはないんですが、写真がいいのか動画がいいのかは行ったり来たりしてる。どちらがいいのかは情況によるところがありますね。

 動画では、言葉の音声がものすごく強いなって改めて思いましたね。録音の言葉には、興味があります。佐藤真さんの『SELF AND OTHERS』(2001)にも牛腸茂雄さんの録音の言葉が一瞬出てくるんですけど、あれしか覚えてないくらい衝撃的ですね」

 

 『略称・連続射殺魔』(1975)の足立正生監督が発言された。

 

足立「風景論は個人が自由に持つと持っているので。中平の風景論にホンマさんの風景論がだぶらせてあって、とても愉しい映画ですね。中平が自転車に乗って川崎に撮影に出かけるのを撮っていらっしゃる。めんどくさい風景論とか植物図鑑とかを論議してた時代から解放されて、嬉しい顔してるのを見てそれだけで十分です(笑)」

ホンマ「ワイヤレスをつけて、リップシンクロしてないですけど、中平さんの唄ってる音は走ってるときのものです。原付のバイクにぼくが後ろ向きに乗って手持ちで撮ってるので、ゴーって音がしてます。ピントもきわきわで、いまだったらもっと上手く撮れます(笑)」

山崎「ホンマさんと佐藤真さんは同年代ですね。ぼくは日大で篠山紀信さんと同期なんですよ。60~70年代の先輩の写真家世代はどう見ていたんでしょうか」

ホンマ「ぼくも日大なんですけど、遅れて写真を始めていて「provoke」とかじゃないところで勝負しなきゃいけないと思ってました。(先輩写真家のことは)嫌いじゃないけど、立場的には否定しなきゃいけない。否定しないと自分のスタイルが出せないんで。その中で中平さんの『なぜ、植物図鑑か』(ちくま学芸文庫)には、ぼくもそう撮ると感じました。ぼくは『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)で木村伊兵衛賞を取るんですけど、写真評論家には「こんなの不動産屋のチラシ写真だ」って言われたんですよ。でもそれはぼくにとっては狙い通りなんですね。いまとなってはぷろぼーぐがかっこいいと言えますけど(笑)。

 中平さんと森山(森山大道)さんは盟友で仲良しみたいな感じですけど、森山さんは『なぜ、植物図鑑か』で否定されたときに「中平の乗った飛行機が落ちればいいと思った」とか。すごくばちばちしてましたね。それも聴けてよかったです。

 (中平さんと)沖縄に行ったのは東松(東松照明)さんの写真展のときですね。沖縄にはそんなに興味がなかったんですけど。コロナ前に磯崎新さんについてのドキュメンタリーも撮ってたですけど、磯崎さんもいま沖縄に住んでて。沖縄に行って何かをさがすんじゃなくて、連れてってもらってその人たちに意味のあるものを撮って沖縄と関わるのがいいなと」

ホンマ「中学高校までは、甲子園に行くような学校で野球をやってました。最初は野球を撮って、スポーツ写真は難しいからやめようって思いましたね(笑)。大学に入ってから写真を始めたのは消去法。ほんとは演劇の演出をやりたかったんですね。でも早稲田とかがダメで日芸の写真科しか行けなかった(笑)。放送学科とかも受けたかな。ギターやスポーツでもあるんだけど、結果的に向いてたってことはあるのかもしれません。子どものころから好きで好きでってわけではない。

 80年代にいちばんいい写真というと広告業界だったですね。当時はいまのようなギャラリーシステムもないし、面白そうなところに行ったんですけど、広告業界はそんなになじめなくて6年ぐらいでやめました。

 (『きわめてよいふうけい』以前に)リトルモアで15分ぐらいの映画(『HOW TO 柔術』〈1998〉)は撮ってました。そのときから映画はこうじゃなきゃいけない、写真はこうじゃなきゃいけないというのに対してこうでもいいんじゃないかと。いま朝ドラで人気の市川実日子で撮ったのが最初の動画作品です」