私の中の見えない炎

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野村宏伸 トークショー レポート・『メイン・テーマ』(2)

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【現場の想い出 (2)】

野村「(喧嘩のシーンは)雨降らしだし一発勝負で、思い出深いシーンですね。19歳と20歳ぐらいのリアルというか。

 ぼくの役はもう正直エッチしたいわけですね(笑)。そういうのが素直に出てる。あのぐらいの年齢ってまずそっちのほうが頭にあって、思わず言ったら相手に「いいわよ」って言われて逆に「ほんとかよ」みたいなリアクション(笑)。いまじゃできないですけど。監督に「そういうときはどうなんだ、男は?」「お前だったらどうなんだ?」みたいなことを言われたように思います。

 (ファッショナブルな衣装は)高校時代から服が大好きだったので、オーディションのときに履いてたジーンズも確か劇中でそのまま使ってますね。当時おれの着てたファッションを取り入れて使われた感じですね。丈が短くて。野村のそういうところをそのまま使おう、みたいな。(森田芳光)監督はよく見ていましたね。ぼくは(周囲を観察する)余裕もなかったですね。自分のことで精いっぱいで」

 

 『メイン・テーマ』(1984)の同時上映は角川春樹監督『愛情物語』(1984)。春樹氏は『メイン・テーマ』のプロデューサーでもあるがライバル意識むきだしで、森田組に雨が降ると喜んでいたという。

 

野村角川春樹さんはプロデューサーなんですけど、森田には負けないみたいな(笑)。『愛情物語』のチームは対抗意識があって。

 『探偵物語』(1983)が(売り上げ)18憶で、今回は目標が35億って言ってたかな。(1984年度興行2位)でも角川さんとしてはダメだったんじゃないですか。もうちょっと行くと思ってたんじゃないかな。取材やら何やらで言ってましたね。ぼくは、そうなんだなくらいですけど。

 角川映画10周年の『キャバレー』(1986)でも主演で、いま思えばすごいですよね。春樹監督に怒鳴られました。ぼくも力不足だったんですね。監督も気合い入ってたし、主役に選んじゃったわけだから、ぼくも食えないくらいやせ細りましたね」

【森田監督について】

野村「沖縄のロケが延びちゃって、高校3年生で卒業式に出る予定が出られないってことで。ホテルのレストランでみなさんに卒業を祝ってもらって(森田組恒例の)表彰状をいただいたのを覚えています。

 森田さんはシャイで、ぼくといてもふたりでそんなにべらべら喋る感じではなかったです。ただ嫌われてはいなかったかな(笑)。あれが最初で最後の森田さんの作品だったので、もう一度ご一緒したかったというのはありましたね。なかなかご縁がなくて残念だったと少し思います」

 

【その他の発言】

野村「宣伝隊みたいなチームをつくって、ぼくは新人なんで全国回らされて。40か所以上行きましたね。デパートの上とか、何だこいつらみたいな雰囲気で「『メイン・テーマ』、これから公開します」って言っても2~3人しかいないときもありました。ひろ子さんと監督が7大都市でキャンペーンをやるときは盛大でしたけど、ぼくはほんとに地味にキャンペーンをやってましたね。それもいい想い出です。

 監督と角川さんのおふたりがぼくを発掘して選んでくれなかったら、いまの自分はないわけだし。オーディションでは俳優に興味ないですって言って、やっても10年できたらいいかなって思ってましたけど。山あり谷ありで37年やってこられました。映画っていまでも見られる、残るってのがいいなって思って、何とも言えない熱い気持ちがあります。 

 若い世代で知らない方がいま見たらどう思うのか、若い人の意見を聞きたいですね。森田さんの作品は1回じゃ判らないというか、何回か見ていろいろと見えてくる。そんな監督の作品に出られたことを幸せに思っています」