私の中の見えない炎

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高田文夫 × 伊藤克信 × 三沢和子 トークショー “森田芳光70祭” レポート・『の・ようなもの』(3)

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【『の・ようなもの』の想い出 (2)】

伊藤「(『の・ようなもの』〈1981〉の)キャンペーンにはふたりで行ったのね。大阪も名古屋も。名古屋城見とくかと」

三沢「あのとき大阪に行くのに、森田(森田芳光)は初めて飛行機に乗ったんです。羽田から電話かかってきて「長い間お世話になりました」って(一同笑)。飛行機が怖くて。長い間ってまだ5年くらいでしたけど」

高田「のろけかよ(一同笑)。東京での上映は渋谷一館だけだったよね」

三沢「東急名画座。いまはヒカリエになっちゃいましたけど。でもキャパは500あったんですよ」

高田「昔は2000とかでっかい映画館あったよね」

伊藤「(入場料は)995円。ご縁があったらまた来てねということで1000円もらって5円返した」

高田「森田は頭いいから、客入らなかったらどうすんだってこいつを脅した」

伊藤「バス1台借り切って上りまで立てて、親戚や知り合いをぎゅうぎゅう詰めて。同級生も仕事休ませて旅館の前に集合させて、渋谷まで50人を強引に連れて来ちゃった。でも心配なくて、初めから結構満員だったね」

三沢「森田が1回じゃ判らないから次も見なきゃとか言い出して、でも次も満員。びっくりしたのが、初日に渥美清さんと永六輔さんが客席にいて」

高田「渥美さんは見巧者で、ちっちゃいお芝居でも帽子かぶって後ろにいる。これはってものは、あの人は絶対見てる。それで渥美さんが見てるっていう口コミになるんですね」

 

 キーパーソンの先輩役が尾藤イサオ(主題歌も担当)。この先輩のモデルは高田氏だという。

 

高田「映画の中の落語の上手い先輩がぼくで、下手な後輩が森田くん。尾藤イサオと彼(伊藤氏)がやってて、そのままです。着てるものも全く同じ。あのスマートな先輩(一同笑)」

伊藤「尾藤さんのエンディングの歌もいいよね」

高田「尾藤イサオが真打になるんで、お祝いにビールをビアガーデンで飲んで。そこに流れる。エンディングはほんとにいい」

伊藤「洗足池で(撮った)」

 

 伊藤氏演じる主人公が夜中の街を歩きつづけるシーンは特に名場面。

 

高田「彼がガールフレンドの家から帰る。志ん生の落語にある「道中づけ」ね。彼が明け方ずっと歩く」

伊藤「堀切から谷中まで。あのシーンでは1日歩いたよ」

高田「おれいっつもあれ見ると、くやしいけどあそこで泣くんだよ。あまりにも下手で(一同笑)」

伊藤「高田先生がおれのこと尊敬してるとよく判りました」

高田「タイトルの『の・ようなもの』は、当時ぼくが十八番にしてた「居酒屋」って落語があって、小僧さんと酔っぱらいの会話。その中の「できますものは、汁に柱に鱈昆布、アンコウのようなもの、鰤にお芋に酢蛸でござーい」。このタイトルが上手くて、映画全体すべてを表してる」

伊藤「あの当時珍しいタイトルだったね。ヨコハマ映画祭でグランプリですよ。あの後、食えない時期もあったけど、何とか今日まで」

【その後の森田監督】

高田「ぼくは落研で別れて「いつか会おうね」なんて言って。彼は映画やって、おれは放送作家やってたけし(ビートたけし)さんと出会って。襲撃されたわけじゃないですよ、つるはしでおなじみ(一同笑)。『たけしのオールナイトニッポン』をやって『オレたちひょうきん族』(1981〜1989)。変な話、たけしさんとぼくでブームをつくって、そのころに『笑っていいとも』(1982〜2014)も始まって。忙しいさなか『いいとも』見てたら「テレフォンショッキング」に森田くんが出てきたけど、あれが森田だってわかんなくて。タモリさんが「きみは若いのに、何で落語の映画なんて撮ったの?」って訊いたら、森田くんが「ぼく、先輩が高田文夫なんですよ」。タモさんは「じゃあしょうがねえか」(一同笑)。おれびっくりして、学生時代の森田くんと映画監督の森田くんがつながったの。同じ人だとは。

 彼もわっとマスコミに出るようになったね。新作映画をつくる度に、ぼくのラジオ番組に毎回来てくれて」

三沢「ずっとお兄さんみたいに応援していただいて。先輩が風邪で来られないときは、森田がピンチヒッターで。監督そのままやってくださいって、打ち合わせなしでやりましたからね」

高田「彼は学生時代からラジオのDJが好きで、大した芸もないのに(一同笑)」

三沢「嬉しそうで「交通センターの××さん!」(一同笑)」

高田「カメ&アンコーの亀淵(亀渕昭信)さん、社長になったけどあの人にあこがれてね」

 

 2021年秋は森田監督の特集上映がいくつも予定されている。

 

三沢「亡くなって10年ですが、みなさんのおかげでお祭りができて」

高田「談志(立川談志)も死んで10年だけど、こんなことやりませんね(一同笑)。震災の年の11月に談志が死んで、ばたばたして1か月後にお別れの会をホテルでやったんですよ。マスコミも集まってもらって石原慎太郎さんが弔辞を言ったときに、記者が来て耳もとで「森田さんが亡くなりました」って。びっくりしてね」

三沢「時が経って森田の作品が忘れ去られたら淋しいですけど、こんなにいろんなイベントができて」

 

 最後にメッセージ。

 

高田「伊藤くんの名演を見てください」

伊藤「この映画を見た後には、私を見る目が変わります」

高田「それはどうかな(一同笑)」