私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山根貞男 × 寺田農 × 岡島尚志 トークショー レポート・『日本映画作品大事典』(2)

【事典制作の裏側 (2)】

山根「戦後は判るわけですよ。ところが1920年前後は資料がほとんどないし、あっても信用できるか判らない。事典ですから裏をとるわけで、それもひとつじゃなくていくつかの資料を合わせてこれでいけると。例えば何分っていう長さが、資料によって4つくらい違う。どれが正しいのかサイコロで決めるわけにもいかないし、調べて想像できる限りこれが近いかなと。封切り日なども苦労しながら、判らないのに書くわけにはいかないので全部は無理。ただここに入ってるのは、一応ぼくの視野に入っています。

 原稿は、2回は読んでます。依頼した原稿をいただいたときと、校正のときに必ず読む。(執筆者は)最初のうちは全員、編集部の人といっしょにぼくが会いました。ぼくもどんな事典なのかイメージできてるわけではなかったですから、日本映画の事典をつくりたいんで、ついてはあなたにはこの監督の項目を書いてくださいと。交渉して決めていく。後で頼んだ人では2、3人会ってない人がいるかも判んないけど」

寺田「例えば相米慎二に関してはこの人に書いてもらいたいというリクエストの仕方ですね。そうすると山根さんの批評的な眼も出てくる」

山根「結局なるべく批評的立場を入れてないつもりですけど、出ちゃいますよね。監督別になってて、映画監督1300人が同列になってるわけでなくて200本ぐらい撮った人もいれば1本しかない人もいる。それをランキングにしようと。溝口健二小津安二郎は大監督で、1本だけの人もいるし、いっぱい撮っているけどつまんない人も(一同笑)。だけど映画がいっぱいつくられた時代は、問題作の間にどうしようもないような娯楽映画がはまっていることによって流れができている。大事なんですよ。すると絶対に入れようと。そういうときにぼくの批評的な判断がおのずと出ちゃいます」

寺田「ないと山根さんが編纂した意味もない」

山根「どこにも偏らない無色透明でやるのは無理です」

 

 監督名のアイウエオ順で作品が並んでいる。

 

山根「作品をどうやって並べるかというときに監督で並べようという単純なことです。誤解される方もいるんですね。ぼくは、映画は監督のものだという監督主義ではないんですが。『七人の侍』(1954)の話をするときに黒澤明のって言いますから、作者の代表は監督かなという程度。

 もうひとつは原作、脚本、撮影、美術は書いてあるけど照明とかは入ってないと言われたんですが、照明も入れるとなると録音や衣装も入れなきゃいけない。20人ぐらいのスタッフを入れたら調査も大変ですし、できない場合も出てくる。少なければ確認できる。出演者は、最低4人は入れようと言ってたんですけど、忠臣蔵は4人だけじゃダメなんですね(一同笑)。『仁義なき戦い』(1973)も菅原文太金子信雄のふたりだけというわけにはいかない。出演者は苦労して最低4人、できれば5人かなと」

寺田アメリカやヨーロッパでは撮影システムが違って、撮影監督が照明もやる。日本は撮影と照明とが分かれている」

山根「ごく最近の映画で撮影監督と出てきて、その後で撮影の人。撮影監督は、多分寺田さんがおっしゃったように撮影と照明とを統括してる。具体的にやるのが撮影と照明の人。ただそれは最近で、アメリカのシステムを持ってきたんだと思います。昔のだと、そこまでにはなってないから撮影までにしとこうと。照明の名前が判らない場合も多いです」

岡島「日本映画は前の題や副題が多いですよね。作品をアイウエオ順にすると迷いますね。副題のほうが大きくクレジットされることも多くて、作家の名前で並んだほうがきちんといくというか」

山根「メインタイトルと副題とでふたつ載ってる場合があります。前田陽一監督でフランキー堺財津一郎が出てくる『あゝ軍歌』(1970)は松竹映画で、松竹の社史に「喜劇 あゝ軍歌」。「キネマ旬報」などの資料にも「喜劇 あゝ軍歌」になってて、調べてるうちに喜劇はないんじゃないか。国立映画アーカイブにも喜劇はなくて、以前に録画したビデオを見たら喜劇はなくて『あゝ軍歌』。「ああ」だから哀川翔と同じでめちゃくちゃ前のほうに来る(一同笑)。こういうバカみたいなことはいくらでもあります」

寺田「山根さんは昔からおっしゃってたけど、時代劇と書いてあるだけじゃ判らないと。股旅物なのか歴史物なのか。行数は限られていて、長さの配分はご苦労されたんじゃないかと思うけど」

山根「例えばこの監督の全作品のうちのこれとこれは、ぼくが認定するんじゃなくて一般的に考えてこの人の代表作だろうと。代表作には字数を200にして、他は100でいちばん短いのは60ぐらい。解説の字数を5段階ぐらいにして、各監督ごとにぼくがフィルモグラフィーをにらみながら字数を振り分けた。同時代の監督でバランスが違っていたらおかしいですね。例えば大島渚吉田喜重とで、ぼくが大島さんは好きだからいっぱいにするとか、逆に吉田さんがいいから多くしようとか個人的な配慮はやめる。何を基準にするかはぼくが日本映画について勉強してきた蓄積に則って、これならみなさんに納得してもらえるかなと。つくり手の人は何であいつのほうに字数が多くておれのは少ないんだと絶対言われるでしょうが、直接お会いしたらすみませんと言うしかない」(つづく