私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

土井裕泰 トークショー レポート・『花束みたいな恋をした』(2)

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【時間の流れ (2)】

 (『花束みたいな恋をした』〈2021〉では)岩松了さんのお父さんが東京オリンピック(の仕事を)やってるんだよねって話をしますよね。坂元(坂元裕二)さんが脚本を書いたときも撮影してたときも、オリンピックが2020年の夏にあるという前提でした。撮り終わって仕上げをして、いろんなことがストップしてオリンピックは延期になった。いろんなことが起きてく中で絹ちゃん(有村架純)の「オリンピックやるのは選手だよ。代理店じゃないよ」って台詞に妙なリアリティー、強い意味が(笑)。緊急事態宣言の中で公開されましたけど、こないだ久しぶりに見直したらオリンピックは終わっちゃったんだなと。Awesome City Clubにイメージソングの「勿忘」を唄っていただいたんですが、フジロックを配信で見たら大きいステージで歌っていて、ああ出たんだと。映画の中で5年の時間が流れて、まだ映画の時間が地つづきでつづいているような感覚がすごくありました。オリンピックが終わってしまったこの時代に絹と麦(菅田将暉)もどこかにいるような気持ちになりますね。

 公開されたときはもうお店は夜8時か9時までになって(劇中に出てくるような)24時間営業のファミレスはなくなって、ついこの間のことを描いているのにこんなときがあったなと思ってしまうような、不思議な感覚がありました。

【モノローグ】

 モノローグは情況を説明しているのではなくて、モノローグによってリズムや新しい意味が生まれなければいけないと思っていました。前半ではふたりがつき合い始めるところでは、ふたりのモノローグでのかけ合いのリズムを壊さないようにつくっていこうと思ってました。撮影前にふたりにスタジオに入っていただいてモノローグを録ったんですね。全体のリズム感を知りたいというのがあったんですけど、現場で彼らに聴かせることはしてないんですね。モノローグに芝居を当て込むのはしたくない。撮影が終わってから、モノローグはほぼほぼすべて録り直しました。実際に演じてみると台本から判らなかったニュアンスとかふたりの空気とかが生まれてきて、それをモノローグに反映させたほうがいいのかなと。客観的でフラットなナレーションでなく、そのときの気分を入れながらやってみようということで。

 ふたりで海に行ったシーンは、つき合い始めていちばんハッピーなときのエピソードですけど、このシーンのモノローグは、始まりは終わりの始まりであるからいつかこの恋は終わると。絹は終わりを意識してる。いい時点で終わりを心のどこかに置いている。文学的というか、見えているものと心の中で思っていることとは違う。台本読んだときに、すごく印象的だったですね。男女だから違うのか。おそらくいまの時代は男だから女だからというのではなくて、この映画の中で起きることは絹ちゃんだから、麦くんだからなんですね。就職という社会に出る局面では気持ちがすれ違っていくというのは、女性でも麦くんが判るって人もいるし、男の人でも絹ちゃんの側だなって人もいるでしょう。性差でなくいろんな人が自分だと思えるのが現代的かなって気がしますね。起きてることは20代のふたりが社会に出ていくという転換期で普遍的ですけど、受け止め方やアクションはいまなんだという。

 

【マンションの部屋 (1)】

 多摩川沿いのふたりが住んでるマンションの中はセットですけど、定職を持たないふたりが住むには贅沢ですね。だから1970年代にできた古いマンションにして、前に住んでたのがデザイン的な趣味のある人でかなりリノベーションしたという設定で、リアルよりは気持ち広い。ただどんな状態であれ、完全にひとりになることができない。ふたりであるのにひとりであることを表現するには、同じ空間にいるのが効果的だなと。途中でゲームの音が聞こえないようにヘッドホンするのが象徴的です。喧嘩して雰囲気が悪くなっても、そこにいるしかないというのが同棲の残酷さじゃないですか(笑)。ただこの部屋はまだ逃げ場がある。間を仕切っているのが本棚で、かつてふたりをつなげていたアイテムがその後でふたりを隔てているのも象徴的な画で、いいセットをつくってもらったなと。(つづく