足立「おれみたいに乱暴なシナリオ書いてると、やくざってのは潔いストーリー展開ができるから便利なんだけどさ。あるいは人間がむき出しに描ける。ただ若松(若松孝二)さんは、それはやめろってんで。
おれが書いたホンでは、ベッドシーンも “ベッドシーン ” って書いてあるだけくらいなんだけど」
荒井「その後は “めくるめく恍惚 ”(笑)」
足立「若松さんはベッドシーンの下手な監督なんだけど、この映画(『濡れた賽の目』〈1974〉)ではなめくり回したり。やくざも平気で題材にしてるし。まともなやくざは出てこないけどさ。白石さんとは別の意味で、こんな若松映画はないから面白かったね(笑)。
ホンはあんまり変わってないの? 何のためにシベリア行くのかは判らなくてもいいんだけど、あの若いふたりはどうすんの? あのふたりはこれからこうするだろうぐらいのことは判るようにするよな、普通は(一同笑)」
荒井「このころのおれの師匠は足立正生だったんで(笑)」
足立「だったら雪原があって、ふたりの向こうをマンモスが悠然と歩いて行くとか(一同笑)。そしたら主人公で終わってるね。荒井さんはもう若い奴が嫌いになってたのかな」
井上「荒井さんが生徒のシナリオ読んで起承転結の「起結だ。承転がない」って言いますけど、荒井さんも生徒に言えないですよ(一同笑)」
タイトルの由来になっただろう、賭場のシーンが印象的。
井上「女の人にあそこにサイコロ入れて落とすってのは、誰の発想だったんですか?」
荒井「それは若松さんだろう」
井上「仮タイトルは「女陰 女賭博師」と」
荒井「そんなの聞いたことなかった。やくざ周りの話なので、そういうことが出てきたんじゃないかな。おれは考えつかないと思う…」
白石「若松さんが言い出して、書いたと?」
荒井「だと思うけどね」
森「タイトルを考えたのは荒井さん?」
荒井「うーん、日活に売ったからこういうタイトルになったんじゃない? あのサイコロの人のなんか、なんかで…(一同笑)。裏から日活に交渉したらしいよ」
森「若松さんのあの時代の映画でオールカラーは珍しいですね。ふすまを開けた瞬間にいきなりカラーになってふたりが雪の中でからんでいてマンモスが横切ってくっていうふうにしたら『(秘)色情めす市場』(1974)に対抗できたかも(一同笑)」
荒井「あっちはオールカラーじゃなかった?」
白石「『めす市場』は、スタートはモノクロで太陽(のシーン)からカラー。モノクロのほうが全然多いですよ」
足立「オールカラーのピンク映画も出始めてたよね」
井上「やくざやった国分二郎さんは、本名は森達也っていうらしいです(一同笑)」
白石「若松さんの初期の作品は、ここではないどこかを目指してる。この映画みたいにはっきりは言わないですけど。足立さんのもここではないどこかを求めていく。意識した部分はあったんですか?」
足立「若松は逃避行が好きなんですよ。今回の若い人ふたりも逃げてるけど、逃避行って言うより楽天的な意志として、海の向こうへ行こうと。普通は追われて逃げてるから、そういうものに対するアンチテーゼも今回はあるのかな。作劇は荒井さんが入ったことで新しいものが出かかったかなと思ったのね。期待したんで、若いふたりにはもうちょっと何かしてほしかったね。
ガイラ(小水一男)が回してるわりにフレーミングがちゃんとできてるなと思って見てたら、途中からがたがた(笑)」
若松プロを描いた映画『止められるか、俺たちを』(2018)は白石氏が監督、井上氏が脚本だった。荒井晴彦役を演じた藤原季節氏が客席から発言した。
藤原「シベリアっていう行ったこともない、見たこともない土地に何故行くのかということについて若者が「決めたんだ」という。それは理解できるというか。決めたから行くんだっていうのは判るなって。だから足立さんがおっしゃった、当時の荒井さんは若者に興味を失っていたんじゃないかという指摘が客席で見ていて衝撃だったというか」(つづく)