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和泉聖治 × 鈴木義昭 トークショー レポート・『亀裂』『オン・ザ・ロード』(2)

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【若き日々 (2)】

和泉アメリカまで行っていろいろ経験したんですが、帰ってきたら、うちの親父(木俣堯喬監督)が東京に出て来て事務所をつくっていて「何にもやってへんやんけ」と。だったら手伝えよということで。

 映画館までのフィルム運びとか。フィルムに荒縄巻いて、時間までにお届けしなくちゃいけない。立川だったかの階段でこけまして、フィルムが!(笑) まいりました。必死になって集めて巻いて、みじめな気持ちになりましたね。フィルムはぼこぼこで叩いても戻らない。

 そのうちお前もカメラを回せよって言われていて、アメリカニューシネマのころだったかな。映画をしょっちゅう見るようになって、親父にお前撮れとか言われてピンク映画でデビューしました。何本か撮って、原作・脚本・監督も全部自分でやってましたけど、助監督の経験はないんです。

 プロ鷹作品は本数が多かったので配給会社に「木俣さん、あなたの名前ばっかりだから違う監督さんで」と言われて、それでぼくの名前が監督に使われて。ぼくはその映画、見たこともないし、後でびっくりしました(笑)。ピンク映画はせいぜい10本くらいしか撮ってない気持ちなんですが、すごく量産したことになってる。勝手に「お前の名前にしといたからな」っていうのが結構あるんですよ(一同笑)」

【『オン・ザ・ロード』】

和泉「『オン・ザ・ロード』(1982)というのがぼくの一般映画のデビュー作です。フィルムチェンジも、昔は助監督とかぼくとかがやってたんですけど。暑い日に新宿で白バイが停まってて、ぼくはフィルム巻いてて(白バイは)いつまで経ってもそこにいる。ヘルメットかぶって暑くないのかな。あの人が発狂したらどうすんのかなと。それで『オン・ザ・ロード』のモチーフというか、白バイの警官を主役にして、もし彼が暴走を始めたらどうなるだろうかとホンを書き始めたんですよ」

鈴木「『相棒』(2000〜)にまでつながっていきますね。和泉さんの作品は警察犯罪や組織犯罪、その中の個人にこだわっている」

和泉「その脚本を書いてたら仲間も集まってきました。するとうちの親父が無理に決まってるからやめとけと反対してきて、喧嘩した覚えもあります。

 制作会社に「きみも半分出し」と言われて、金策しても全然集まらなくて。ちっちゃな事務所が原宿にあって、原宿駅に向かって歩いてたら千疋屋からカランコロンと下駄の音がして振り返ったら(作家の)高橋三千綱で、昔からの友だちなんですけど。映画やっててって話たら「おう、貸してやるよ!」って100万。それじゃぜんぜん足りないんですけど(笑)勇気づけられて。三千綱にはすごく感謝してますね。

 三千綱はゴールデン街でお店やってたんですね。その店にぼくもよく出入りして、パキ(藤田敏八)さんとか映画人が出入りしてて。

 『スローなブギにしてくれ』(1981)に「お前たち、出演せえよ」と言われてお金のないころで、提示されて金額が当時のお金で20~30万。ああ、年越せるなと思ったら暴行魔の役で浅野温子を襲う。古尾谷雅人にぼこぼこにされるんです(笑)。靴のサイズが合わなくて走って逃げてて痛くて、古尾谷は手加減せずにぼこぼこと。その2か月後くらいにテレビの2時間ドラマを撮ることが決まって、その主役が古尾谷なんですよ。しばらくして彼を主役につくるのは複雑な思い。彼もすんまへんとか言ってました(一同笑)」

 そんな苦難を経て『オン・ザ・ロード』は完成。

 

和泉「親父は大変だからと反対したんですが、ぼくは何としても撮ろうと。ゼロ号試写では、あんなに反対してた親父が「お前ようやったな」とか言って泣き顔になってましたけど。それから何も言わなくなりました。それまではぼろかすですよ」

鈴木「お父さまの著書の最後に、和泉さんに語りかけるくだりがありますね」

和泉「読んでないです(笑)。

 鈴木さんからお電話いただいて、うちの親父のことはあまり喋ったことないんで、ぼくも避けてたとこがあるんですけど。きょうはぼく誕生日なんですけど(笑)歳なんで、けじめかなと」

 

 昔の映画雑誌などを見ると木俣作品に和泉監督が出演しているとの記載があったり、ふたりで会社の共同代表を務めていたりするので、父上の作品をごらんになるのが初めてというのは意外だった。

【『相棒』シリーズや近況】

和泉「助監督は全部調べます。警察関係の本買ってきて階級であるとか、どういう仕事をするか、捜査の方法だとか。助監督は知識がすごいです。

 『相棒』を何本撮ったかな。50~60本撮って、その都度ぼくも調べる。

 『相棒』は土曜ワイド(土曜ワイド劇場)で撮って、視聴率がよくて2作目を撮ったら20パーセントを越えちゃったんですね。その日、雪が降ってたんで。ぼくは三千綱と「これがシリーズになるといいね」って言ったのを覚えてます。当時は豊(水谷豊)さんもまだ先生(役のイメージ)でした。2~3年したら(視聴率が)上がってきて、もうぼくは卒業しました。『相棒』やってると半年かかっちゃう。他の仕事ができないんで。

 オリジナルが大事だと思っていて、いまもホンを書いてるんですけど。5本ぐらい書き終えて、いつか映画にするぞと。

 渡辺謙の『逃亡者』(2020)を撮り終えたのがもう1年半以上前かな。コロナで大変なことになってきてやることないんで、初心に戻ろうと思って脚本を書き始めて。2~3本書いて、こういうこともやりたい、違うジャンルもやりたいといつも書いてる。そんな時間は、昔は全くなかったです。あ、鈴木さん読まれますか。すっごく分厚いですよ。4~5万字ある(笑)。

 うちの親父も、もの書くの好きでしたね。ただぼくが書いたのは『オン・ザ・ロード』が最初で、親父といっしょに書いたことはないですね」

鈴木「ぼくらはピンク映画では高橋伴明とか中村幻児に注目してたんだけど、和泉監督はこんなに上手かったのかと(笑)。一般映画を撮り出したらどれも面白くて」

和泉「ありがとうございます(笑)。テレビも映画も撮りすぎちゃって、ちょっと休まないとやばいなあと。『相棒』を卒業して、そしたらコロナになってますますよくて」

 

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