私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

別役実 インタビュー(2001)(2)

f:id:namerukarada:20210802020313j:plain

――一方で売れない劇はダメな劇だと思われる傾向もありますが

 

 演劇も含めて芸術活動は本来ならばお金と関係ないところで、成立しなければいけない。ただ、社会のシステムがすべてお金によって成り立っています。お金を稼ぐ人だけが社会に参加している、と言われてしまう。金銭で物事を判断しようとする価値観は強くなっていると思います。しかし、どうしてもオリジナルなことをやると、お金に結びつきづらいです。僕も最初のころはとても貧乏でした。しかし、お金に結びつくことは、今までの人がやっていたことになってしまう。そして、お金を稼ぐか、オリジナルな自分の好きなことをするか、と究極の選択を迫られる。そのとき、僕は自分の好きなことをしました。お金を稼ぐ一辺倒になると、エネルギーが続かないし、自分を裏切った気持ちになってしまいます。

 

 関係の力学を

――教育については、どのようにお考えですか?

 

 誰にでも社会的な関係があり、その関係がドラマとなっています。不条理劇ではドラマの主人公は「関係」そのものですし、対人関係が人間社会のなかでもっとも複雑で、つかみづらく、得体の知れないものだと思います。人はこの関係のなかで自分と他人という人間を発見していきます。生きるにあたって、関係の力学を学ぶ、つまり人間関係をどうするのか、を考えることが必要になってきます。

 たんに学校に行って、知識を教わるだけ、いっしょに行動させられるだけでは、集団としての目的がないので、関係が生まれてはきません。たとえば、集団で目的を持って具体的な行動をするとき、必然的に関係が要求されますし、関係の力学も学ぶことができます。関係の力学を学べるところさえあればいいと思います。その点、演劇はいいですよ。演劇をすると濃密な関係になるので、関係の力学が学べる。ぜひ、演劇をやってもらいたいですね。

 

――不登校についてどう思われていますか?

 

 学校に行かないことは賛成です。均一的な学校教育や対人関係のあり方はもう重視しなくていいと思います。演劇では方言を使った芝居が行われています。近代劇には普遍性がないという理由で方言がすべて排除されてきました。しかし、地域のなかでは方言を使うほうが濃密なコミュニケーションがとれます。つまり、普遍性がなくても、地域での濃密な関係を重視した方向に変わってきています。普遍性ではなく「独自性を求める」ことは時代の変化に対して、大きな軌道修正だと思います。その意味で不登校は独自性が重視される時代の先端を行っていると思います。

 ただ、問題は関係の力学が学べず、社会感覚や共同感覚がなくなることです。これは不登校だから、働いていないから、特別に学べないのではなく、現在、すべての人が学びにくいと思います。解決の手がかりとして、僕は「発言実行」をおすすめします。発言実行とは、たとえば重いものを持つとき「これから重いものを持つよ」とみんなに発言します。すると、みんなが変な目で見る。これで「持つ」ことが社会的な行為になり、自分の行為が社会に向けての行為であると位置づけられます。これを定着させれば社会感覚、共同感覚をつかむ手がかりになると思います(笑)。

 

――親のあり方はどうあればいいのでしょうか?

 

 家族はたがいに深く関心を持ち、個性がどの方向に向くのかを見つめ合う必要があります。ただ、従来の価値観で見つめ合っていたらいけない。親の価値観は常に時代から遅れるので、子どもを自分の価値観で育てるとズレが生じます。親は一時代前の価値観でしか育てられないと自覚すべきですし、子どもは自分とはちがう価値観を持っているのだから、個性がどの方向に向くのかわからないと思うべきです。子ども自身がなにか動いたときに、親はその方向性をなるべく認める。そうすると親は独りよがりにならないし、時代にあった子育てができると思います。(聞き手・石井志昂)

 

 「不登校新聞」2001年12月1日号(87号)より引用。