私の中の見えない炎

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小沢一郎ブームの憂鬱な想い出・本多勝一、岡留安則、小林信彦ら(1)

 2009年に誕生した民主党政権は2012年に崩壊した。この時期に学者やジャーナリストなどのリベラル陣営がこぞって、政権の中枢にいた小沢一郎支持を表明していた。

 政治学者の山口二郎、中野晃一などの小沢支持はつと知られているがジャーナリストの本多勝一岡留安則、作家の小林信彦なども小沢を絶賛しており、筆者にとっては何となく苦々しい記憶となっているのだった。

 小泉純一郎政権の時点で本多勝一は既に小沢一郎を激賞していた。2004年12月、本多は自らが編集委員を務める左派系の「週刊金曜日」誌上にて小沢にインタビューしている。

 

日本が名実ともに国連中心主義を実践することは、日本の自立に不可欠であり、対米カードにもなると思う。われわれは国連活動を率先してやっていく。その姿を国際社会で実際に示せば、アメリカも日本に無理難題を言えなくなる」(『「戦争」か「侵略」か 貧困なる精神26集』〈金曜日〉)

主権者である国民がビシッと自信を持って、まともな政治家を選べばいいんだ。軍人だって憲法について発言してかまわない。国会にも呼べばいい。防衛省内局、つまり官僚が威張っている状態がシビリアンコントロール文民統制)だと思われているが、とんでもない。最終的にはすべての政治家が決断する。それがシビリアンコントロールなんだよ。要は、それはできる政治家を選ぶことだ」(同上)

僕で勝てるなら逃げませんよ。次の総選挙が政治生命の総決算だと思っているから、必ず勝たなければならない。私情はまったく抜きにして、僕で獲れるなら多少無理をしてもやるし、そうでないなら、ほかの手段を考える」(同上)

 

 小沢の明快かつ豪快な発言を聴いた本多はこう述べる。

 

正直な話、かなり基本的な認識で小沢氏と共通するとは意外だった。現役記者のころ “政界” を担当なり取材なりしたことがないので知らなかっただけかもしれないが、論理の一貫性でも明晰な頭脳が感じられ、小泉首相のような “バカ”(対談中の表現)とは桁が違う。もし政治家としての対世間上の計算や遠慮がなければ、もっと純粋にスジのとおった言動をしたい人ではないか」(同上) 

 1990年代前半の本多は「汚濁にまみれたあの竹下派、その中で泳いでいた羽田孜氏や小沢一郎氏らが、自民党を割って出て「新生党」を結成したとき、あたかも彼らが “改革派” であるがごとくにふるまい、マスコミの多くもこれをもてはやしたものの、私自身を含めてこれに疑いの目を向けた人々は少なくなかった」(『蛙のツラに拡声器 貧困なる精神Y集』〈毎日新聞社〉)などと小沢を幾度も非難し、特に小選挙区制や長良川のダム建設推進を槍玉に挙げていたのだった。それが小沢と会談した途端、なのかどうかは定かではないが、本多はすっかり篭絡されてしまう。エキセントリックな毒舌家のイメージがある本多だけれども、本人も述懐している通り政治記者の経験がないゆえに存外に純粋で、政治家に対する免疫がないのかもしれない(あるいは岡崎洋三による提灯本『本多勝一の探検と冒険』〈山と溪谷社〉に本多は隙だらけでお人好しという証言?があるが、誰が相手でもだまされやすいということか)。

 愛想がよく演説では終始笑いをとっていたという師・田中角栄とは対照的に、朴訥で寡黙な小沢には角栄と異なるカリスマ性が宿っているのは想像に難くない。石川知裕『悪党 小沢一郎に仕えて』や小沢自身による『小沢主義』(集英社文庫)などを読むと魅力を感じるのにやぶさかではないけれども、男っぽくかっこいいからと言って簡単に礼賛してよいものか。   

 一方、月刊誌「噂の真相」の編集長を長年務めた岡留安則は創刊20周年のインタビューでこう語っていた。

 

オレのいう反権力は社会主義になろうが、今の資本主義だろうが同等に批判する。だからひとことでいえば、むしろアナーキーなんだろうね、どこにも属さないという…。体制が変われば、またその体制に向かって批判する。国家あるいは権力というのは必ず腐敗するっていう信念を持っているからね」(『波乱万丈への20年史』〈噂の真相〉)

 

 軽薄な中高生だった筆者は岡留の姿勢にあこがれを感じた。だが権力の批判者を自任していたはずの岡留は、いつのまにか小沢一郎を好意的に評し始める。(つづく 

 

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