私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

恩地日出夫 × 荒井晴彦 トークショー レポート・『女体』(2)

【『女体』について (2)】

荒井「この牛殺しのシーンで叩かれて、評価もされず。ぼくは牛を殺したっていう記事を読んだ覚えがあるんですね。そんなに批判されることかな。きょう見てもそんなにすごくない」

恩地ヤコペッティに比べればどうってことないよね。だけど非難を浴びたね。屠殺監督って書かれたから。その批評家の名前はいまでも覚えてる(笑)。

 撮影所の奴もみんなそっぽ向いた。厭になっちゃって、いまで言う鬱かな。ひきこもりになって、電話を布団に突っ込んで出ないで。ピンポンも電源抜いて鳴らないようにして。1週間くらい外に出ないでいたら、撮影所から迎えに来て、でもみんなつめたかったね。あんな映画撮りやがってと。

 (牛殺しでは)ドキュメンタリーを撮ったという意識はないです。70年万博のための映画を撮ったけど、岩波映画で初めて東宝でないスタッフと仕事して、こういうふうに考える人たちもいるんだって発見して。70年代に萩元晴彦とか今野勉とかがテレビマンユニオンをつくって、そこで『遠くへいきたい』とかを撮って、ドキュメンタリーをやるようになりました。それが結実したのが『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』(1979)でした。

  1本1本がマイシネマなんですよ。おれにとって映画とは何かと、1本ずつ答えを出してきたんだと思います。

(次作まで2年空いたが)あんまり気にしなかった。専属料をくれるし(笑)。浦山桐郎ってのがいてずっと撮ってなくて、小田急線で2つ3つ離れて住んでて、お互いゆっくり飲んでた。食うのに困らないし、酒は飲めるし。辞める気は全然なかった。悪いことした意識もなかった(笑)。マスコミはやたらといろいろ書いたね。「朝日ジャーナル」とか「サンデー毎日」とか、いまでも恨んでるよ(一同笑)」

 

【団令子の想い出】

 恩地監督と団令子は『素晴らしい悪女』(1963)、『女体』(1954)、『伊豆の踊子』(1967)にて組んだ。

 

恩地「団令子はまあ親しかったけど。いい女だね、いま見るとね(笑)。この前の『素晴らしい悪女』では白坂依志夫が脚本で、白坂とふたりで撮影所で会って、団令子の車で本社に行くんで、助手席にどっちがすわるかで揉めて(笑)。

 (『女体』で)田村(田村泰次郎)さんの原作をやれと言われたときは、ぼくは団令子でやる気だったけど、会社もそのつもりだったんじゃないかな」

荒井東宝の女優さんは脱がないのに、よく脱いでますね。恩地さんだから?」

恩地「うーん、おれに言われたからっていうのもあったかもしれないな。

(『伊豆の踊子』では)団令子が風呂で長台詞を言うでしょ。『素晴らしい悪女』の船の上の長台詞と同じつもりで言わせました。作家の言いたいことを、役者を通じて言っちゃうというのは邪道でもあるんだけど、全く同じ意図で入れましたね。団令子が結婚したばっかりのころだったんだよね。役者をつづけろって言ったんだけど、つづけられないかもってことで、とにかく出したのが『伊豆の踊子』でした」 

 

  【監督歴の回想 (1)】

恩地「(東宝に入ったのは)就職難だったからね。東映と両方入って、東宝の発表が先だったらで、東宝が好きだったわけではないんだ(一同笑)。東映は大川さんと向かって面接して、近くで見ると鼻の穴が大きい。朝、玉電に乗ってて必ずいっしょになる女生徒がいて、その娘の顔と大川さんの顔とすげえ似てるんだよ。あれ?と思ったら、娘だったらしい(一同笑)。この会社は入んねえほうがいいかなと思ったね」

 

 『女体』の2年後に発表したのが、内藤洋子主演『あこがれ』(1966)。

 

恩地「『あこがれ』は金子正旦さんが脚本持ってきて、これなら撮っていいと言うんだね。読んだら、おれには撮れないと思ったんだけど、表紙に原作:木下恵介とあって。もともとテレビの脚本なんだよね。それで木下さんに湯河原に会いに行って。でかい部屋にこたつがあって、そこに助監督がいて、大先生は寝てるんだよ。助監督に“お前さ”とか言うんだけど、その助監督が山田太一。木下さんに、ここ直したいみたいなこと言ったら“きみの言う通りにしていい”と。渋谷の南平台の旅館で脚本書いて、山田太一に手伝ってもらいましたね。山田信夫もいたね。『あこがれ』が当たって、『伊豆の踊子』(1967)につづいて『めぐりあい』(1968)も撮って黒字だったんで、東宝での監督生命はつながったと。

 『めぐりあい』は山田信夫の(日活のために書かれた)脚本で、日活がなかなかやってくんないんだよってことで、あいつの家が桜上水でおれは梅が丘で歩いて10分くらいだったんで、おれが晩飯食いに行くと。そこと武満徹の家でよくただで晩飯を(一同笑)。そこでこんなのあるって読まされたのが『めぐりあい』。藤本さんのとこ持ってったらやれと。(酒井和歌子の役名の)典子と書いてテンコと読むってのは、あいつの作品ずっとそうで、変えるなと言われた。何を言ってんだろうと思ったけど(笑)」

荒井清水邦夫の奥さんの名前なんだろう」

恩地「何でそんなにこだわってんだろうと」

荒井「好きだったんじゃないですか」

恩地「どうでもいい(一同笑)。

 内藤洋子や酒井和歌子は新人だったのがたまたまスターになっちゃってね。『伊豆の踊子』でちょっと出てるのが酒井和歌子。後ろ姿が吉永小百合にそっくりだったんだよ、怒られるかもしれないけど(一同笑)。今度はこの子でいけるって『めぐりあい』を」(つづく 

「砧」撮影所とぼくの青春

「砧」撮影所とぼくの青春