私の中の見えない炎

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恩地日出夫 × 荒井晴彦 トークショー レポート・『女体』(1)

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 いまは平凡に暮らす主婦(団令子)。彼女はふと、戦後の闇市を駆け抜けた時代を回想する。

 恩地日出夫監督『女体』(1964)は、田村泰次郎の著名な原作を監督自らの脚色で映像化した作品で、牛殺しのシーンを当時批判された。同年に鈴木清順監督『肉体の門』も同じ原作を使っており、競作のような形と相成った。

 昨年4月にリバイバル上映と恩地監督のトークが行われた。聞き手は脚本家の荒井晴彦佐伯俊道両氏が務めているが、筆者の能力の限界により恩地・荒井氏の発言のみ何とか書き留めることができた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

【『女体』について (1)】

恩地「1964年封切りってことは50年だね。忘れてたな、ほんとにおれ撮ったのかな(笑)」

荒井「ぼくも3年くらい前、シネマリンで見て驚いたんですよ。傑作じゃないかって」

恩地「おれ脚本も書いてんだね(笑)。原作の田村さんと東宝藤本真澄と会って、新宿をひと晩5、6軒はしごして飲み歩いて、作品の話ひとこともしないで、勝手にシナリオにしたんだ」

荒井「同じ年に鈴木清順さんが日活で撮ってますが、競作ですか」

恩地「日活の『肉体の門』(1964)は知ってたけど、こっちは見なかったし向こうも見てないみたい(笑)」

荒井「原作のその後にしようってのはすぐ思いついたんですか」

恩地「そのままやるのはきついなあと思ったね。清順さんはそのままやってちゃんとしてるのをつくってるけど」

荒井「ちゃんとしてるかどうかは。野川由美子の裸はよかったですけど(笑)。五社(五社英雄)さんもやって、かなりそのままでしたね」

恩地「『肉体の門』だけで現代批判ができきれればいいんだけど、鈴木さんはやってるけど、おれは無理だと思ったんだね。だから昔売春婦だった奴が、体制の中でぬくぬくと生きてるってところから昔を描こうと発想したんだね。あまりいい案じゃないけどね。鈴木さんのほうが正しかったのかな(笑)。

 あのときの現代から見た戦後を強調したかったし、現代を戦後によって批判できれば。戦後に対するノスタルジーじゃないけど、あの時代よかったな。1945年から1955年までの10年間。55年に学校出たからね。中学高校大学の10年」

荒井「きょうの映画では、昔はカラーでいま(現代)はモノクロですね。見たときに吉田喜重さんの『秋津温泉』(1962)をすぐ思い出したんですよ。8月15日に死のうとした長門裕之岡田茉莉子によって生きようとするんだけど、日本と同じで戦後どんどん堕落して原点を忘れていく。秋津温泉から出てこない、8月15日で止まっている感じの女が長門と死のうとするけど、逃げられる。岡田茉莉子は自分で死ぬ。似てると思ってたんだけど、きょう見たら違いますね(笑)。きょうの映画で南原宏治は死ぬけれども、団令子は死なないで家庭に戻るんですね。ということは、厭な戦後だけど生きてこうと。ある種の肯定ですよね」

恩地「肯定はしてないけど、しょうがないってあきらめてる」

荒井「似ているというより逆ですね。吉田喜重批判ですか(一同笑)」

恩地「そんなこともないけど。あいつは同い年で、監督協会ではいちばん年下が旗持たなきゃいけなくて、あいつとふたりで旗持って入って(笑)、何年かは最年少」 

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恩地『女体』は4本目。1960年に監督になってる。そのときの現在、1964年の日本に対する不満がすごくあったのは確実だよね、ぼくの中にね。それを、持ってこられた原作の中でやるとなると、ああいう脚本になっちゃったということかな。

 東京オリンピックは特に意識してないですけど、開会式を団令子の家の庭で見た。戦闘機が五輪マークを空に描いてたから、それを見たってことは、前の晩は団令子の家に泊まってたんだろうな(一同笑)。

 歩道とかをペンキで描くのは東京オリンピックの後なんだね。だからその状態に戻すために、砂かけて線を消した記憶があるな。あ、それは吉展ちゃん(『戦後最大の誘拐 吉展ちゃん事件』〈1979〉)だった(一同笑)」

 

 牛殺しのシーンは物議を醸した。

 

恩地「牛はみんな怖くてしょうがなかったけど、実際に殺してんのは俳優だけ。脚の綱は大道具さんが押さえてるけど、他は役者がやってて。特に団令子は犬も猫も触るの厭がってて、それが殺される牛の角を押さえてるわけで、全体重で押さえてて、最後ふらふら立ち上がって“牛さんごめんなさい”ってばたんと倒れて、医務室まで運んだ。

 カメラは4つ使ってます。編集でカット割ってるけど、全部ワンカット。撮影所から15分くらいの狛江に屠殺場があって、あの牛はほんとより3日くらい長生きしてるわけ。あの牛かわいい目してるんだよね。殺すのかわいそうだけど。お骨にして回向院の動物墓地に納めました。卒塔婆に“東宝撮影所 喪主:恩地日出夫”って書いてある(一同笑)。

 牛殺しは、藤本さんはそんなに気にしてなかったんだよね。大映から来た方で市川久夫さんっていう大人しいプロデューサーが“監督、やっぱりセットで殺しますか”って言うから、やりますって返事したら、藤本さんは“じゃあしょうがねえだろう”って言ったらしい。

 あのころ、武満徹と映画と何かって麻雀したり酒飲んだりしながら話して、彼と一致してたのは見ること。カメラを通して見るというのが映画で、lookingをきちっとやるってことが映画なんだって喋ってて。牛を連れてきて、オーバーラップしてすき焼き食ってたっていいわけですよ。でもそれじゃ映画じゃないんじゃないんだ。殺して食うために連れてきたんだから。そのプロセスを、カメラを通して見なきゃいけない。それで撮ったんですね。不評でも避けてはいけなかったといまでも思ってます」(つづく

「砧」撮影所とぼくの青春

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