私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

“山田太一セレクション” 刊行記念 山田太一 トークショー レポート(1)

f:id:namerukarada:20161223231214j:plain

 先日、銀座にて脚本家の山田太一氏のトークショーが行われた。山田氏の代表作である『想い出づくり』(1981)や『早春スケッチブック』(1983)のシナリオが “山田太一セレクション” として復刊(里山社)されていて、刊行を記念してのトークである。話題は復刊された作品から、つい先月放送された『五年目のひとり』(2016)やその他の作品まで多岐に渡った。

 聞き手は里山社の清田麻衣子氏が務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 (清田さんは)いい本をいくつも出していらっしゃって、私のはいい本とは言えないですけど(笑)。

 きょうは…いいですか、喋っちゃって? この本を出そうと言ったのは清田さんで、ぼくはそんなむかしむかしの本を出しても誰が買うのかなって。でも、ものすごく売れるとは思っていらっしゃらないかもしれないけど、出したいと言ってくださって。

 (初めて読んだシナリオは)黒澤明さんの『野良犬』(1949)っていう。(現物を出して)これ読んだのは中学3年のときですね。本をたくさん買うお金なんかなかったから、大事に買ったと思うけど、それが映画のシナリオだったと。その後映画界に入るなんて全く思ってませんでしたが、不思議なこともあるんだなと。

 黒澤さんと谷口千吉さん(監督)という、黒澤さんの友だちですね、のちには八千草薫さんのご主人ですけど。この方の『銀嶺の果て』(1947)と『ジャコ萬と鉄』(1949)も載っていて(書名は)『野良犬』ですけど。こうして見ると黒澤さんがひとりで書いたみたいですけど、橋本忍さんがいっしょに書いていて。あとの2つは黒澤さんが脚本家として書いて、谷口さんが監督としていろいろ述べて。自分が中心になって書いたから自分の名で出したって(黒澤氏の)断り書きがあるんです。

 『野良犬』は印象に残っていて、読むと全カット思い浮かぶ。若いときに感銘を受けた作品ですからね。シナリオがあるおかげで思い浮かぶ。熱のこもった初期の代表作だと思いますけど。三船敏郎も素晴らしい。

 そういうのは頭にあるんですけど、2冊出していただいて、どういうふうにいまの方が読んでくださるのか。映像を見てない方が読んで面白いと思ってくださるのか、ぼくは全然自信がない(笑)。 

 【アドリブと俳優】

 わりあい初めのころから、自分の書いた脚本に手を入れられたくなかったのね。初期は(要求が)通用するはずないんだけど、どうしてか受け入れてくれたんですよ。変えたら自分の思いと違っちゃうって。でもそれって変じゃないですか。根拠はないんですけど。キャスティングは先にしちゃう。その人の口調とか思い出して、そういうふうにして、そこんとこ(変えないということ)は許してもらっちゃう。権力振るってたわけでも何でもないですけど(笑)。そういうふうにしてずうっと来てしまいましたから、余計なことはひとことも言ってないと思います。(アドリブのほうが)面白いという人もきっといるに決まってるけど、ぼくは自分が書いた台詞以外を見るとうまくいってない気がしちゃう。ぼくのをやったほうがいいと思えてしまう。変則的なことだし、普通は演出家が最終判断することが多いけど、そういうふうに思っちゃう。つくり方っていろいろあっていいと思うし、後ろめたい気がしながら(主張を)通してきたと。いまごろになるともうじじいだから、あいつの言うことを聞いてやれってなるかも判らないけど、若いときは強引でしたね。怒り狂ったということはないですけど。じろっと見るくらい(一同笑)。

 (娘が)20代前後くらいで、(『想い出づくり』の)あの3人よりちょっと若いかな。だから口調や何かはわりあい身近に…。いろんな人(登場人物)がいるから、全部ぼくの口調で統一するのはちょっと邪道だと自分でも思いますけど、他の台詞を入れられるとすごく何かその…めちゃくちゃにされちゃうような気がしちゃうのね。

 森(森昌子)さんだと(臆病な)台詞が合うんじゃないかなと(笑)。田中裕子さんだとまた違う。煮つめて煮つめて書くわけです。渡したら、あんまり文句言わないでって(笑)。

 ひとりの人間がある物語を書いていくって力もあると思うんです。ここは私流にしたいとか(いろいろな人の要求を)聞いたらどんどん壊れて、初期のころにそういうのを経験して厭だなって気がすごくしたのね。

 俳優さんがその台詞言うと映えるようにってずっと書きました。『早春スケッチブック』も山崎努以外の人が言ったら似合わなくて、きっとその俳優さんも困っちゃう(笑)。

 そんなに横暴ではないと思うんですね、自分では。でも怒ってる人もいるでしょう。

 このごろはみんな達者になりましたでしょう。でも陳腐なうまさっていうか、ここ(ひたい)になんか貼ってあるだけみたいな上手い演技の人も当然いますね。ぼくは時代劇を書かなきゃいけなくて書いたこともありますけど、時代劇で同じ型ができちゃう人もいると思いますですね。すごくよくなる俳優さんもいますけど。『ふぞろいの林檎たち』(1983)の柳沢慎吾、最初は素人みたいな感じでしたけど達者でしたね。演出家にものすごく怒られたって話も聞きますけど。

 ある役をキャスティングして、ほんとにその人が心から言ってるような台詞の領域というのは、もしつかめたら素敵だと思いますね。いつもそんなふうにはいかないですけど。(登場人物が)止まんなくなっちゃうこともありますね。そうしょっちゅうはないですけど。どっかで台詞っていうのは、その役者の言いそうな台詞ってものがついつい出てくるっていうと違うけど、煮つめていくとこの台詞だなと…。そういうふうにありたいと思いますですね。(つづく)

 

【関連記事】シンポジウム “敗者たちの想像力 いま山田太一ドラマを再発見する” レポート (1)