私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

山田太一講演会 “宿命としての家族” レポート(3)

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【高齢化と家族の現実 (2)】

 家族が負担だから脱ぎ捨てたいと思ってる。そういうときにもう一歩踏み込んで、結局ひとりで生きて死ぬことを覚悟して。だんだんつまり家族ってものが、リアルに考えると、こんなことしてたら壊れてしまうと思って別の道をさがそうとしてると感じるんですね。

 こんなふうに老人が増えてしまうのは、前にはなくて、ほどよく死んでいたわけで。私自身も死ぬと思われてて、でもすぐに死ねませんね(一同笑)。厄介だけど、その部分をぼくは乗り越えなきゃいけないと思いますですね。いちばんいまどうしていいか判らない。これから答えが出てくる。答えを出している人もいっぱいいると思いますですね。家族のリアリズムは、いろんなものに刃を突きつけているいう気がいたします。 

 

【パネルトーク

 (子どものころは食堂の)メニューの中から食べていましたから栄養は偏ってたでしょうね。その後で飢えが来ましたから。献立について知らなかったですね。弁当もおかずをどうつくっていいか判らない。姉は揉めていなくなった時期があって、そのとき斜向かいに佃煮屋があって、そこで毎日買って妹に半分、自分に半分。それだけのおかずで通ってました。

 みんな飢えてまして、学校までに関門があって脇に連れてかれて昼飯食われちゃう。どうしようもなくて、何とか食われないように走り抜けなきゃいけない。ひどい時代でしたね。

 食堂ができなくなって、母が死に、兄がふたり死に、父と妹とぼくだけでその3人で食べることもよくありました。メニューを知らないし、材料もなくて。カレールーもなくて、カレー粉を溶いて具を入れてカレーを食べた時期がありましたね。

 

 (『想い出づくり』〈1981〉は)途中から(裏番組の)『北の国から』(1981)が始まって、視聴率的には負けた。こっちが先に終わったので、ちゃんとした競争じゃないですけど。『北の国から』は素晴らしいですけど。

 学校のことだの何だの(子どもが)3人いるといろいろ…。みなさんなさってることですけど、いろいろありましたですね。もう結婚したので全然何も心配してません。向こうがむしろこっちを心配してくれる。

 究極的に、この歳になって考えると、ひとりで死ぬっていう覚悟を決めていないと悲しみが深くなってしまう。結局ひとりで自分の生をどう引き受けて死ぬか。助けてくれる人がいればいいけど、半分くらいは嫌々かもしれない。ひがんでるのかも判らないけど、お互い結局ひとりで、人が選ぶんじゃなくて自分なんだと。

 いっしょに仕事してた人がどんどん死んでいく。自分が出遅れて、早く死ななきゃって気持ちになって(笑)。誰かを当てにしちゃいけないかな。最後は何でも来いですよね(笑)。

 生きてると思いがけない、ずっとつき合いがない人が来てくれて、いい気持ちをいただいて、人って棄てたもんじゃないと思うけど。人はひとりだぞひとりだぞって言い聞かせてないと甘えてしまう。

 (幼い子どもが)いちもくさんに親に向かって走ってきて飛びつくとき、感動しました。それはつづかない(一同笑)。でもいつまでもそんなだったら困るし、過渡的で少し幸福をくれると思って。ずっとくれると思っては…。

 

 「あなたこんなこともできないの」って女房によく言われて。普通の男はちゃんとやってると。ドライバーの使い方とか日常生活のこと、あなた不器用でできないから、人に頼まないといけないとか。

 ぼくは、定年はないけど、いま定年後みたいなもので。男がやっぱりいちばんダメになっているところですね。家庭のことは女房がうまいですよ。料理つくっても、何これ?って言われて。ずっとやってるからうまい。ぼくだってずっとやってることはうまいと(笑)。

 

 不自由であること、マイナスの事情をよけて生きようとするのは間違いじゃないかと。どう生きようと悩みは必ずあって。マイナスは突きつけられるものと思って、イデオロギー的に興奮したりしないで。マイナスがないわけはなくて容貌も健康状態もマイナスをしょってて、プラスばっかりの容貌もない。仏像の顔は気味悪い(笑)。プラスばかりも気味悪いですね。幸いプラスだけではないから、顔を見合わせてる。

 いまはプラスを理性的に求めすぎてる。でもプラスだけではなくて、情や好き嫌いで生きていますですね。最良の選択はなくて、寄ったと思ったら離れていったり。波瀾万丈だとくたびれちゃうけど、マイナスが多くなると人生の味という余裕はないけど、味と感じられれば成熟だと思いますね。