私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

飯島敏宏 × 小倉一郎 × 仲雅美 トークショー(2018)レポート・『冬の雲』『冬の旅』『わが子は他人』(4)

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木下惠介監督の想い出 (1)】

飯島木下惠介プロをつくったころの木下さんは、いまのぼくよりずっと若い。還暦かな。スタートしたパーティは、還暦のお祝いだったの。

 木下さんは口述筆記なの。ぼくはプロデューサーのとき、1回だけやったことがある。何もおっしゃらないんだけど、ふっと(台詞を)言ってそれで書く。なかなか出てこないから見ると、泣いてるの。そこで鏡に映ったご自分の顔を見て「お母さん…」って台詞をおっしゃる。それでぼくが書く。かわいがっている助監督の山田高道を筆記係につけたら、伊豆の温泉に泊まってるんだけど、一向に原稿が来ない。心配になったんだけど、訊いたら高道は、木下さんが黙ってると「先生、ごはんにしましょうか」って気を遣っちゃう。鏡に映ったのを見るタイミングがね(笑)。高道くんは助け船を出すつもりで、ごはん食べたり飲んだりしちゃう。だから原稿が進まない」

小倉山田太一さんも口述筆記をされていたんですよね」

飯島「太一さんは聡いから、そういうことはないだろうね」

小倉「太一さんも、奥さんによると台詞を喋りながら書いているそうです。何分何秒か判りますよね」

飯島ホームドラマの脚本家はそうでなきゃいけない。太一さんの本ではお茶にする場面でも、ちゃんとお湯を沸かす時間が経ってからお茶が出てくる。生半可な脚本家はふたことみことでお茶が出て来ちゃう」

小倉「太一さんは台詞も自然体ですよね」

飯島「木下組は長回しが原則で、適当なところでカット割ってつめちゃうということはない。だから脚本家も長い芝居をやってみないと、ああいうタイミングにならない。

 木下さんは妥協が嫌いでね。『冬の旅』(1970)は最後に富士山で終わるの。ロケ行ったけど、6月で曇ってて富士が見えない。ラッシュが終わってOKが出たけど2〜3日経ったら、朝6時ごろに電話かかってきて「きみ、窓開けて空見てごらん。富士山が綺麗よ」って。しょうがないから、以前仕事してた円谷プロに飛んで行って、35ミリのカメラでそのまま富士山行って撮って編集して。そういう人ですよ。富士山出てるのは午前中だけですから、松竹行って難しい手続きしてたらまた曇っちゃうから、円谷へ行って。そういうサーカスみたいなことも随分あったね。

 紅茶が出るでしょ。持つところが左で、こう回すと幸せが逃げていくとか。細かかったね。ディレクターには直接おっしゃらず、ぼくに言う。ディレクターに言うと萎縮するからね、こいつに言っとこうと(笑)」

「本番は見に来なかったけど、リハーサル室には来られることありましたよね。「ぼく、こういうシーン大好き」って自分が書いてるのに」

小倉「あるとき先生何ですかって訊いたら「お前を怒りに来たんです」って言うからええっ!? 「お前は慣れてこれでいいと思ってる、ハラハラドキドキやんなさい」。

 ぼくが行き倒れになってどっかの家にご厄介になるシーンで、衣装の浴衣に糊がきいてる。これじゃダメだって。「これじゃ憐れが出ないのよ!」。助監督の方がTBSの宿舎みたいなところに行って、着ちゃったやつを借りてきて。いま借りに行ってもらってますからって言うと「衣装ってのはね一郎、台詞言わなくてもどんな人か説明してくれる。だから衣装って大事で、衣装合わせは衣装部のおじさんの趣味に任せちゃダメなんだ。相談して決めなきゃいけませんよ」って怒られた」

飯島「『俄』(1970)で寒いシーンで、美術部が凝って障子破いて。風起こしてOK。そこで何もおっしゃらず、スタッフが散った後で「あれじゃ寒くて暮らせないでしょ」 。スタッフが一生懸命破いたけど、全部切り貼りさせて。寒いなら貼るでしょうってことで撮り直し。わざとらしい。だから難しい」

 

 『わが子は他人』(1974)では脚本・田向正健と木下監督とが対立した。

 

飯島田向正健は骨のある男で、松竹にいて木下組じゃないけど。木下さんと揉めて意地の張り合いで「破門です」って一生つき合わなかった。『わが子は他人』(1974)っていう作品で、最後のシーンで田向が書きたかったのは、産みの母にとっても育ての母にとっても、みんなわが子。木下さんの中では、産みの母より育ての母。困っちゃってね。プロデューサーのぼくは何回も往復して「松竹でいろいろあってここで脚本家になったのに、何とかなんない?」。今度は木下さんのところへ行くと「きみ、ぼくを降ろしてちょうだい」ということで、松竹でチーフやってた方にお願いして監督してもらって。田向正健の言う通りになって、破門。「あの親父まだ怒ってんの」って言って、出入りしなかった。ふたりとも素晴らしかったと思う。母というものに対して、木下さんの中に観念があるんだね」(つづく