私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

小原乃梨子講演会 “声に恋して” レポート(3)

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【朗読について】

 絵本の原点は、字が読めない子どものためだということ。私の父が丸善で洋書を買ってくると、明治生まれの母が読んでくれて。

 2000年に小原乃梨子朗読研究会を立ち上げました。若い方から年配の方まで、たくさんの方がいっしょにやって、勉強会から公演までやっていて。幅広い年齢の方に会えて、教わることは多いです。声優の先輩方は亡くなってますから、教わったことは伝えていかないと。文語体のものも取り入れて、『草枕』や『夢十夜』を読むクラスもあればシェイクスピアを読むクラスもありますし、自分の中の自分がいきいきしてくるのを感じます。

 年配の人の会で戦争体験というのをやっていただいています。それを聴く。私たちは聴くことを忘れている気がしました。

 朗読研究会からたくさんのプロが生まれて、私は何も残せないから、私が思ってることを伝えると、みなさん実感してくださる。

 

【五感と義母】

 (朗読の)CDを10年前からつくってまして、なかなか売れません。聴くことの意味、いまは忘れがち。Listenとhearがあって、これが大事と思ったら聴く耳を持つ。亡くなりそうな人の前ですぐ遺産相続の話をしたら、その人が復活した後で聞こえてたって話がありますね。幽体離脱じゃないけど。

 においもすごく大事。五感でいらないものはないですけど、嗅覚がダメになると…。亡くなった主人の母が認知症で、当時は老人性痴呆症と言ったんですが、全くにおいがダメになって、ある日のこと、おうちに帰ったらガスが上まで昇っていて、におわなくなったんだって。横浜の方でしたけど。徘徊が始まって、大騒ぎになりました。明治生まれの賢い方で、学校の先生で、英語も理科も堪能で、そんな方が…。私がとった、盗んだと。そんなこと考えられない。そのへんから、おかしいぞって。お元気でよく召し上がるし、主人に言っても信じない。でもどこも引き受けてくれない。徘徊のときには、さがしてさがしてさがして。それでバス停に立っていらして、スリッパはいて“学校へ採点に”と。いちばん愉しかった時代にお戻りになるんだそうですよ。それで、きょうは日曜日ですから帰りましょうって。とうとう最後に、八王子に病院が見つかって。内科(の患者)なんですが、精神科が愉しくて、ゲームをしたりとても人間的で、そこで愉しそうにして夜は内科に帰ってくると。妄想が出てきたり、脳梗塞にもなって、主人のことも“あの人だあれ?”って。私は判りますかって言うと、“乃梨子さん、お嫁さん。誰のかしら”って。面倒見るから、覚えててくれたんですね。寝たきりになってから、桜の花を切って持ってったら、お口が動いてる。“ありがとう”って言ってるように聞こえました。主人は信じてくれませんけど。ありがとうって言うこの方の生死を私が握ってると思ったら、何でもしますと。

 何気なくありがとうって言いますけど、実はあまり使ってない。近い人には使ってないですね。慌てて、それ以降はありがとうを連発(一同笑)。でもそれくらい嬉しい言葉です。あることが難(がた)いんですから。何気ないところで使うといいと思うんですけど。さようならも、左様然らば、もう会えないかもしれないという意味です。心をこめて言う。声優を目指す方も目指さない方もお願いしたいと思います。

 声のない方がどんなに大変か、ご想像できますか? つんくさん、パソコンで話していらっしゃいますけど、お唄いになりたいだろうなって。でも小さなお子さんのために、生きることを選んで声帯を摘出されたと。ベートーベンも…。私たちの五感が何かひとつ欠けると、とても厄介です。

 

【その他の発言】

 太一郎(広川太一郎のアドリブ)は異常でしたからね(笑)。最後に語尾をつける。全部台本に書いてあって。私は『ヤッターマン』(1977)でちょっとやったり。台本に「ここんとこよろしく」って書いてあることもありましたけど。脱線トリオの相手役をさせられたときは、台本を覚えてても役に立たない。全部アドリブで、鍛えられました。喜劇人の方とやって、勉強になりましたね。

 池田昌子さんとは、3.11のときにコマーシャルをやってまして(電車が止まって)いっしょに歩いて帰りましたね。

 子どものころは作家になりたくて、『声に恋して』(小学館文庫)は一言一句、自分で書いてます。『テレビ・アニメ最前線』(大和書房)も自分で書きました。2000年からのことも書きたいんですけど、小学館電子書籍になってあきらめましたけど。

  私も知りたいことたくさんありますね。まずやってみたいのはスカイダイビング!(一同笑) 自分だけでなくて、後ろに人がいるから平気って言われて、それじゃ私もって。ゴルフも30年やって、馬も。 

 (「よだかの星」の)宮澤賢治が求めていた“本当の幸せ”、自分の心の中にあるもの、お金に替えられないものを訴えているように思います。賢治は30代で亡くなりましたけど、脈々と日本人の中に受け継がれているように思います。

声に恋して 声優 (小学館文庫)

声に恋して 声優 (小学館文庫)