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山田太一講演会 “宿命としての家族” レポート(1)

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 花王芸術・化学財団のシンポジウム “しがらみときずな” が行われ、脚本家・山田太一先生の講演があった。花王財団は断続的にシンポジウムを行っていて、今回からは家族をテーマに3回シリーズで講演・トークを開催するのだという。

 山田先生はつい先々週に新作『五年目のひとり』(2016)が放送されたばかり。コーディネーターである原島博東京大学名誉教授、キャスターの須磨佳津江氏とのパネルトークもあって特に原島氏は面白かったが、筆者の能力の限界により山田先生の発言に絞ってレポートしたい(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 (原島氏の20分くらいの問題提起の後で)原島先生から配慮のある前置きをいただいて。(家族というテーマは)多様で何喋っても外れるし、何喋ってもどっかでぶつかるかなと。

 家族という宿命性に注目したというのかな、選べないし。顔も選べない。顔は家族のせいではないかも判りませんけど、回り回れば家族のせい、親のせいとも…。選べないことの宿命性がかけがえのないもので、選べたら混乱しちゃいますね。選べないから、自分を確立できる。

 

 顔が選べないとぼくは思っていたんですが、考えると当たり前ですが子どものころ、青年期、老年期では、顔はどんどん変わってる。人生をどう生きたか、どう生きなかったかが顔に反映してくる。必ずしも宿命性だけでない。また縄文時代から弥生時代平安時代に2000年くらいかかって変化して、一時代の変化もあるけど、それを越えて平安の顔がある。時代をしょって変化してるんですね。まさしくそうだと思って必ずしも宿命ではない。自分の顔に責任を負うわけじゃないけど、いろんなものを背負ってる。

 ぼくは身長が160cmちょっとしかなくて、戦争中の食べもののない時代が成長期で、栄養失調の中で生きてて、できものができると大きなおできになる。大学に入るあたりも食べものがなかったですけど。

 10歳年上の姉が90歳で生きてますけど、うちは浅草で食堂やってたんですが、母も父も忙しかったですね。浅草でも中央六区の道には食堂が少なくて、それでも一流の店はあって。1年に1遍か2遍くらいの休暇で浅草に来ると、表の店に入りにくくてここだったらと入ってくるお客さんが多い店。従業員もこんなに必要なのかなっていうくらい何人もいて、その中で育った私も姉も食事は店のメニューから食べてたですね。家庭料理は知らなかったです。戦争になって、うちは取り壊し。空襲に遭ったときの逃げ場所のためにこの一角は取り壊しで、国の命令だから言うこと聞かないといけない。食べものもなく食堂どころでなかったんですが、どっかへ引っ越す。地方に疎開したんです。その疲れで母が死んでしまいまして、兄もふたり死んでしまいまして。私はまだ子どもで、姉と妹と残されて。姉がショックだったのは、ごはんのつくり方を知らなかったと。それまで店のメニューを食べてて、食事のつくり方を知らなかったと。育ちによって違う。いまは、サラリーマンの家族は普遍性があるけど、うちみたいに特殊だと符号するところがない。それぞれの家族の現実に即して生きてきたわけですね。

 子どものころに強烈に覚えてて、いまも悪夢のように思うことがあるんですね。母が亡くなって、遠戚のおばさんのところに使いに行って、巣鴨とげぬき地蔵の近くで、そこがうちの親戚の中では出来がいい。お父さんが役人か何かで、息子さんは旧制中学で、輝かしいキャリアだと思っていて。何かの使いで、そのお母さんとお姑さんのいるところへたまたま行って。お姑さんはぼくが来たことに関係なくお嫁さんに怒っていて、竹の物差しでですね、ごめんなさいと平身低頭して謝ってるところをビュッと…。でも逃げ出したりしないでぶたれていて。実に茫然として、ぼくは口もきけないでふるえてましたけど。

 父は家出して母と結婚して食堂をやってましたから、旧制中学の人というと知性がある人だったのに、どうしておばあさんが君臨しているのを抗議しないんだろう。すごく悔しいという思いが頭にありました。その君臨ぶりは、いまは解決してますね。むしろお嫁さんの君臨に変わってきてる。家族って変わってきますですね。変わったほうがいい。お姑さんがいばってるなんておかしいと。

 

【『想い出づくり。』について (1)】

 社会のあり方でなく、ぼくが憤慨したのは、それから何十年も経って35年くらい前にぼくはライターになっていて40代後半でした。こういうギャグがあって「女とクリスマスケーキは25過ぎると売れなくなる」と。それを聞いたとき、自分の娘が20代前後で、何てことを言うんだと腹が立ちました。社会正義ではなく情けない事情でしたけど。(つづく) 

 

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