【ヒーローとは (2)】
小中千昭氏は『ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術』(朝日新聞出版)にて、かつて『ウルトラマングレート』(1990)にて組んだ脚本家の會川昇氏と対談。
小中「対談では、“アンチヒーロー”というお題をもらったんだけど、ぼくは何のポリシーもなくて、會川くんはハカイダーとか東映作品のことに詳しい。それが対談では會川くんがずっと『ウルトラマンティガ』(1996)のことを話してて、ぼくは“うん、そうだね”ってそれだけ。ぼくの発言は10行もない(一同笑)。
映画の『バードマン』(2014)もメタヒーロー、メタフィクションですね。メタヒーローは『スパイダーマン2』(2004)がやり切ってると思っていて、『キックアス』(2010)は他の方向にシフトして面白くつくれていたけど、『キックアス2』(2013)は…(一同笑)。
その後、ぼくは急に浅田真央にはまって、これは『ティガ』と重なるなと」
【『ウルトラマンガイア』】
『ティガ』の最終話でやり尽くしたと思っていた小中氏だが、『ウルトラマンガイア』(1998)にてメインライター(シリーズ構成)として登板する。『ガイア』はシナリオライターが毎週集まり、会議するという形式で筋を練り上げていった。
小中「自分が各話ライターとして入ったとき、ストーリーが決まっていて台詞だけ書けっていのが嫌いで、『ガイア』は3年目で他のライターの顔が見えていて、だから毎週ライターで会議をやってみよう、帰納的でなく演繹的につくりましょう、と。ぼくは、他の人が書いた台詞を直したくない。作者を尊重する。會川くんは直すって言ってたけど」
『ガイア』には、革命家の戦士・ウルトラマンアグルも登場する。
小中「アグルは第25話で退場というのが、バンダイとの了解事項。最初、ぼくは、ああ25話で死ねばいいのねって(一同笑)。悪者のウルトラマン、イーヴィルティガと何が違うか考えて、みんなでやっていくうちに深化していった」
切通「原田(原田昌樹)さんが、稲森博士(久野真紀子)を何度もよみがえらせました」
小中「原田さんは、女優さんにこだわりがありましたね。稲森博士は、何度も出てくるなあって思いました(一同笑)」
読み切り形式の多いウルトラシリーズの中では、縦軸のあるのが『ガイア』の特色であろう。
切通「原田さんは『ガイア』で格闘して、自分なりにどう膨らませるか考えたようです」
小中「『ガイア』のようなつくりで、3年間はできない。闇雲にやった『ティガ』、バラエティに富んだ『ダイナ』の後は一本筋を通したものをやろうって。もっと自由にやりたいって何度も言われました。制作発表では、(準レギュラーの)円谷浩さんが顔真っ赤にして“このホン、難しいよ”って言われて。つい突っぱねてしまったんですけど。
『ガイア』に防衛チームがいっぱい出てくるのは、小山信行プロデューサーの発想。私は、どれだけ大変なことか判ってるのかって(一同笑)。『ティガ』のGUTSよりリアルにやる。ベクトルとしては、そういうことかな。
(『ガイア』にナレーションが少ないのは)意識的に省こうと思ったわけではないんです。ただ昔の『ウルトラマン』(1966)の浦野光さん、石坂浩二さんのナレーションは教訓、薀蓄が入っていて、そういうのが『ガイア』の世界観ではやりにくかったかもしれない。
『ガイア』では、地球発のウルトラマンということにしよう、と。宇宙人じゃないって企画が通るとは思っていなくて。
無責任なようだけど(敵役の)根源的破滅招来体も全く決めてない。種明かしがあればロジックでつくるけど、始まる前に固めたくない。そんなにラジカルなことをしているつもりはなくて、戦争映画でもどうして戦争が起こったかはやらないのだから、『ガイア』でも現象だけを切り取ると」
【昭和のウルトラマンについて】
切通「『ウルトラマンメビウス』(2006)は、ウルトラ兄弟という(昭和の)設定を使いながら平成ウルトラをやったとぼくは思っていて、人間が進化した先にウルトラマンがいる。
第1期(『ウルトラマン』『ウルトラセブン』など)と違って第2期(『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンエース』など)では、だんだんウルトラマンが人間の方へ来ている。怪獣を見たのに信じてもらえないっていう話が多くて、『ウルトラマンエース』(1972)では超獣を倒すためにTACが結成されたのに(超獣が)空を割ったらそんなわけないということになって、それじゃ何のために結成されたのか(一同笑)。
でも第1期は事件ものだけど、第2期は子どもが中心になっている。大人から子どもへの必死のメッセージが、こちらも大人になると判るというか。作家の福井晴敏さんは、『帰ってきたウルトラマン』(1971)の“ウルトラ5つの誓い”が大好きだって。ぼくはリアルタイムで5つの誓いを見て、「道を歩くときには車に気をつけること」ってドリフの加藤茶かって思ったんだけど(一同笑)、でも福井さんは自分が親になってこれが判ったって。『帰マン』の次郎くん(川口英樹)は、周りの大人が死んで、(ウルトラマンの)郷秀樹(団時朗)も去っていく。メインライターの上原正三さんも(最終回まで)しばらく書いてなかったから、郷と次郎がどんな生活をしていたのかをあの誓いに込めた。父親になると、子どもが事故に遭っていないか気になる。いま見直すと、大人が必死に子どもに何か残そうとしているなって感じる。50になって、ウルトラシリーズの大きさや深さを感じますね。
50になると、友だちの顔とか忘れていても、『帰マン』のエレドータスで、高野浩幸さんの少年が足ひきずって歩いていたりとか、よく覚えていて。視覚媒体の中で生きてきた人間の宿痾。小中さんの小説『稀人』(角川ホラー文庫)にもそんな感覚がありますね」
切通「この前、渋谷浩康プロデューサーと平成ウルトラの脚本家を昭和の脚本家に例えたら誰かって話になって、長谷川圭一さんは上原正三さん、太田愛さんは市川森一さん。小中さんは金城哲夫だって」
小中「そのくらいにしておきましょう(一同笑)」