【原田昌樹監督の想い出 (2)】
小中「第50話「もっと高く!」を十何年ぶりに見たら、音を抜いてて、ちょっと異常な演出をしている。ダイゴが苦悩して、レナが気にしてるとか。男女が映っているだけなんだけど何かが起こっているという、業界人が見たら放送事故かって思うような。やはり非凡な監督でした。村石監督はそうじゃなくて音を重ねてきますね」
切通「「もっと高く!」のEDのレナ名場面集の中で、(第35話「眠りの乙女」の)憑依されてるレナも入ってる。これもダイゴが見たレナのひとつだから?」
小中「原田さんのセレクトですね。EDでも、本編の演出がつづくっていうのを初めてやったのが原田さん」
先述のように、原田監督は『ウルトラマンティガ』(1996)には途中参加だった。
小中「第25話でダイゴとレナがデートしようって言ってて、原田さんが初めて撮った第30話(「怪獣動物園」)ではあっさりデートしてる。俳優や助監督からは、“ちゃんとコントロールしてるの”ってクレームが」
切通「「怪獣動物園」では普通にデートするような間柄かと思って原田さんが撮ったら、えっ違うのって」
【『セブン』と『ティガ』】
『ティガ』のダイゴとレナという主役カップルは、『ウルトラセブン』(1967)の影響が大きいという。『セブン』にて主人公・ダン隊員(森次晃嗣)とアンヌ隊員(ひし美ゆり子)の恋愛が描かれた第42話「ノンマルトの使者」や最終話「史上最大の侵略(後編)」は満田かずほ監督が撮った(満田氏は『ティガ』ではプロデューサー)。
小中「昔の『ウルトラセブン』ではいきなりデートしていて。満田さんを忖度するわけじゃないけど、最終回があれだから前倒しでやっていたのかな」
切通「「ノンマルトの使者」では、アンヌが砂に埋まっているってシナリオにまで書いてある。髪を強調したいんですね。最終回でダンの告白があったとき、アンヌの髪がシルエットになるからと考えていたと満田監督はおっしゃっていました」
小中「『セブン』で育った自分自身が、ファンとしてやっとかなきゃいけないと。ファンとしてけりをつけたのが第50話。作家のエゴですけど。
ウルトラシリーズがリメイクされたとき、現場もプロデューサーも前と同じようにやればいいっていうのがある。新しいものをつくるには、そこで踏ん張らないと。それは少しできたかな。リメイクの呪縛、昔と同じものはつくれないし、かといって明後日のものをつくってもダメで、革新性とコンサバティブなものとどこでバランスをとるか、それが求められているのかなって」
切通「第19・20話「GUTS宙へ」は、『セブン』のキングジョーを意識したと。ヤオ博士(小倉一郎)の登場で、ここで初めて平成ウルトラの精神が出てきたかなってぼくは思っていて。人類が進化した先にいるのがウルトラマンで、進化を妨害するのが敵。進化も敵も、いいか悪いか判らない。ただ人類は先に行こうとしている。そこに新しいウルトラマンを見たなって」
小中「あまり考えてなくて(笑)。ただ、子どもに見せるものだよねって。『セブン』のように警句っぽいのはしんどいかな。庵野秀明さんが『ティガ』の悪口を言ってて(「GaZO」Vol.2〈徳間書店〉)確かにそうなんだけど、子どもに見せるものだから(一同笑)」
【『ティガ』の結末】
子どもたちがみな光になってティガに力を与えるというラストは、賛否両論だった。
切通「最終回では、子どもたちにウルトラマンを与えるんじゃなくて、みなで明日に向かって前進して、スパークレンスが崩れた。宗教じゃないかみたいな批判もあったけど、ウルトラマンの否定みたいで、これは『ティガ』で完全にやりきったなって」
小中「最終回の本打ちのときに(続編の)『ウルトラマンダイナ』(1998)も(制作が)始まっていたけど、『ダイナ』のことなんて知ったことかと。弟(小中和哉監督)がやってるけど(一同笑)」
小中「宗教だって批判は当時から聞いてて、でもある意味宗教かな。ウルトラマンを子どもがつくれるかもしれないって夢を、棄てられない」
切通「第43・44話のマサキケイゴ(高良隆志)がまさにそうですね。彼はウルトラマンになるため努力したけど、その先が歪んでしまった」
小中「ウルトラマンは神ではないけど、人間が100パーセントわかる存在じゃないと、『ティガ』のときにはこだわって(周囲と)ぶつかったりした。革新と保守、その中庸のバランス、視聴者と作り手の感性が合ったときに作品が生まれる」
切通「第3話のキリエロイドは忘れ神、イルマ隊長がテレビで認めたから再活性化したと。そこのところは、宗教に巻き込まれる人間のあぶなさが出ています」
【シナリオと完成作品との違い】
切通「第3話の台詞は、シナリオと映像で違っていますね」
小中「現場で差し込みを入れて、短く書いてくれと。村石監督が、変えたいからって。どうしてか、よく覚えていない。『地球はウルトラマンの星』(ソニーマガジンズ)では切通さんの質問に答えているけど、読み直すと自分の答えを全く覚えていない(一同笑)」
切通「「眠りの乙女」では、最後の「夢じゃないのかも」って台詞を石井てるよし監督がカットして」
小中「私が烈火のごとく怒った。これは急遽書くことになって、でもせっかくだからダイゴとレナのために一山もうけようって。試練を乗り越えて、レナは少しそれを覚えているというのを残したかった。まあでも、小さなこだわりですよね」
【ヒーローとは (1)】
切通「普通のサラリーマンが、“人間ごときにできるのか”って言う。人間が人間否定みたいなことを言う。『寄生獣』(2015)を見ていて思い出したんだけど、面白いなって」
小中「やっつけな台詞ですよ(笑)。子どもたちに希望を託すので、大人は希望を失うような言葉を、と」
切通「普通の人にも人間否定の感情はあるのかな」
小中「ぼくの本音はマサキケイゴで書いてて、『serial experiments lain』(1998)でも本音が悪役に出ている。でも虚構の世界では、その本音を否定したいんです。サラリーマンの台詞は、ぼくが思ってることでもあるしね」
最近の小中氏は、浅田真央選手のファンなのだという。
小中「普通のアスリートと違って、注目を浴びている人が力を発揮できるのかなって。それはヒーロー物しかできないと思っていたら、ソチオリンピックを見てしまって」