私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

武田鉄矢と久保田万太郎

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 昨年11月、映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977)が珍しく地上波のテレビで放送された(主演した高倉健の追悼企画)。この作品は刑務所帰りの主人公(高倉)が妻(倍賞千恵子)のもとへ戻る道中で若い男女(武田鉄矢桃井かおり)と出会い旅するさまを描いており、夫婦愛を描いた名作として知られる。だが…。

 

幸福の黄色いハンカチ』を観て、健さん倍賞千恵子の純愛より、副主人公ともいえる武田鉄矢のむき出しの性欲が印象に残った人は少なくないのではないか。冒頭から天井に貼ったヌードグラビアの下で失恋に泣いている鉄矢の姿から始まるこの映画。赤いファミリアを購入して北海道に旅立つ鉄矢の目的は女、女、女。しかも鉄矢は女性に惚れてるというよりはヤリたいのであり、旅先で出会った桃井かおりを隙あらば押し倒そうとする」(切通理作山田洋次の〈世界〉』〈ちくま新書〉)

 

 公開時に生まれていなかった筆者は、封切りから20年くらいを経た時点で見たわけだが、武田鉄矢のものすごい演技に、「これが感動作?」というとまどいがあったのを覚えている。昨年の放送直後にも、ネットには「武田鉄矢 チャラい」「武田鉄矢 うざい」という検索候補が現れる始末であった。本人も『黄色いハンカチ』のころは「生々しいコメディ」の演じ手だったと自任している(『3年B組金八先生卒業アルバム 桜中学20年の歩み』〈同文書院〉)。

 武田と言えば、『黄色いハンカチ』の2年後にスタートした主演作『3年B組金八先生』(1979〜2011)のイメージがあまりに強く、殊に『金八先生』の初期はすごい人気だったと伊集院光がラジオで回想していた(伊集院自身は金八が嫌いなのだとか)。役を離れた本人も、インタビューやラジオで教育論をぶつなど説教親父という印象である。筆者は1・2作目のころはまだ生まれていない世代だけれども、中学生のころ(1990年代)に『金八先生』シリーズが再開されたので、筆者以降の年代も武田と言えば金八という人が多いだろう。 

 武田は自己愛が桁外れに強い。若い人は知らないかもしれないが、映画『刑事物語』シリーズ(1982〜1987)は武田が原作・脚本・主演を務めており、自ら演じる三枚目の入った主人公が薄幸の女性を助けて活躍するという…実に暑苦しい連作である(上の写真は『刑事物語2 りんごの詩』〈1983〉)。『刑事物語』の完結後には、『プロゴルファー織部金次郎』シリーズ(1992〜1998)がスタート。こちらでは、武田は原作・脚本・監督・主演の4役を兼ねて、監督業にも進出。出来は『刑事物語』を下回るもので『プロゴルファー織部金次郎4 シャンク、シャンク、シャンク』(1997)がまずまずだったくらいだけれども、この第4作では離婚した主人公(武田)が若い彼女(財前直見)に愛され、やり手の課長(高橋ひとみ)に誘惑され、離れて暮らす高校生の娘に慕われて手までつなぐ! 別人がシナリオを書いているなら接待作品だと思うだけなのだが、本人の自作自演というのが…。両シリーズはかつて「ゴールデン洋画劇場」で頻繁に流れていて筆者もそれで見たけれども、どこが「洋画劇場」なんだ?というベタであかぬけない邦画である。

 平生の態度の悪さも知られ、バラエティ番組では井上陽水谷村新司松任谷由実など年代の近いアーティストの曲を容赦なく罵倒(昔『HEY! HEY! HEY!』などで見た折りは、ちょっとびっくりした)。最近では原発に関する軽はずみな発言を繰り出し、無知ぶりを露呈している。

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 さてそんな武田鉄矢のいまひとつの貌が、ドラえもん映画の作詞家である。武田は第1作『ドラえもん のび太の恐竜』(1980)から第17作『ドラえもん のび太と銀河超特急』(1996)まで、第5作を除くすべての主題歌作詞を担当。筆者より少し上の世代には、ドラえもんの歌の人というイメージも強いだろう。「心をゆらして」や「少年期」などの佳曲は人気が高く、前者は『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』(1981)のクライマックスの怒涛の盛り上がりに貢献した。それらに比べて話題になることは少ないかもしれないが、『ドラえもん のび太の恐竜』(1980)の「ポケットの中に」で冒険する少年の心が描かれたり、『ドラえもん のび太と鉄人兵団』(1986)のエンディングにて、

 

泪がひとつぶも残らないように 泣いてみました きのうの夜に

 だけどあなたを思い出すたびに 泪が何度でもにじんでくるのです」(「わたしが不思議」)

 

と繊細に唄われたりするのには、あの顔で書いたのかと驚いてしまう。『ドラえもん のび太とブリキの迷宮(ラビリンス)』(1993)の主題歌では、

 

試験終わりのチャイムと同時に まっすぐ見上げた遠い空

 ずっと苦手の鉄棒さかあがり やっとできた風の中

 本にはさんで忘れた押し花 つまんだらひらひらと花びらが

 Ah Feeling Good」(「何かいい事きっとある」

 

と青春の情景がさわやかにつづられて、ネットのコメントでも「これが武田鉄矢!?」という反応が見られる。恥知らずな自己愛ぶり、根性の悪さとはまた別の一面である(以上、日本音楽著作権協会無視)。

 話はがらりと変わるのだが、『三島由紀夫全集 32』(新潮社)にて最近「久保田万太郎氏を悼む」という一文を読んだ。この追悼文は「幸運にも、私は久保田氏の世間で云はれるいやな面といふものに觸れずに終わつた」との書き出しで始まる。

 久保田万太郎俳人・小説家・劇作家・演出家で、筆者は無知であまり知らなかったのだけれども、三島の「歌舞伎台本のほとんどは氏の演出によつて精彩を放つた」という。 久保田はかなり強烈な個性の持ち主であり、劇団では王者として君臨したらしい。

 

世間からは演劇ボスと目されて、およそ世俗的な印象を人にも与へ、又自ら好んで与へてゐた向きもある」(『三島由紀夫全集32』〈新潮社〉)

 

 だが、久保田万太郎の「世俗的な」活動は「みんな影にすぎず、すぐ忘れられてしまふ」のであり、「あとに残るのは、文学的な仕事だけ」と三島由紀夫は断ずる。

 

後代の読者は氏を、市井に隠れた、孤独で繊細な、すんなりした姿態の、心やさしい静かな抒情詩人としてしか思ひ描かぬにちがひない」(同上)

 

 この三島の論評に、筆者は武田鉄矢を想起したのだった。見ていて辟易してしまうような武田の演技や俗物丸出しのトークと「静かな抒情詩人」の貌。結びつかないように思える両者がひとりの表現者に棲んでいるというのは、久保田万太郎と同様ではないだろうか。

 久保田万太郎とは異なり武田鉄矢の場合は映画やバラエティ番組の映像が大量にあるのでぬぐい去るのは難しいが(笑)作詞・唄の仕事は確実に後世に残っていくような気がする。1980〜90年代のドラえもん映画によって武田の楽曲に接した「後代の」若い人も、その「抒情詩人」ぶりにきっと魅了されることであろう。

決定版 三島由紀夫全集〈32〉評論(7)

決定版 三島由紀夫全集〈32〉評論(7)

 武田鉄矢の映画やトークを貶すような拙文だが、筆者は武田氏の映画やテレビをかなり見てしまっているので、どちらかと言えば敬愛しています(言いわけ)。