【過去の自作について (3)】
(『チロルの挽歌』〈1992〉)あのころはバブルで、高倉健さんでやらないかと言われて。新味を出すにはどうしようか。車両管理の人だったのに北海道のテーマパークに派遣されちゃって、健さんは口をきかないから、みんなに口をきけといじめられる(一同笑)。最終的には健さんが映えるようになっているんですけど、少し柔らかくなったという変な終わり方。
健さんは何ひとつ文句を言わず、ぼくは気が咎めています。もっと健さんらしいものにすれば。ぼくは見直すのが怖い(笑)。
【シナリオ創作について】
高校生までは地方にいて、映画館はあったけど見る暇やお金がなくて。大学入ってからは暇があれば映画を見るという時期がありました。いいものを見ると勉強になる。あのタッチで行こうとか。普通は小説家でも先人の書いたものを見ますですね。素敵な作品は忘れないから、それが積み重なって何となく文法をつくっていく。
外でひとりでごはんを食べるとき、昔は相席というのがあって、向こうはふたりでこっちはひとり。目を合わせないと、向こうはぼくがいないことにしちゃって、ふたりで喧嘩したり。それが面白くて、メモはしませんけど、こんなこと言うんだ(笑)と。それも勉強になりましたし、いまも勉強になりますね。
台詞をひねったりするから、中井(中井貴一)さんに無駄が多いって言われちゃう(笑)。要点だけ言ってたら筋書きみたいなもので。それを弛まないように書かないとね。
基本は脚本ですよ。基本は役者だとかカメラだって言う人もいるけど(笑)。
第1稿は意見を言ってもらいますし、納得したら直したり書き足したりします。その後の決定稿は、一言一句変えないでもらう。それしか脚本家は能がないから、俳優さんには決定稿は宿命だと思ってもらって、こうしたいと思ったら演技で補ってもらう。涙流したり、まあぼくはこんなところで泣くなって思ったりしますけど(一同笑)。ぼくは森繁(森繁久彌)さんのアドリブの魅力はよく判るけど、ぼくのには出ないでほしい(一同笑)。それは面白いんで、上下ではないです。ただ声はかけない(笑)。
木下恵介さんもそうで、小津安二郎さんももちろん。小津さんの台詞を変えようなんて言ったら馘ですよ。変える監督もいて、毎朝(シナリオの)号外が来て、その日(撮影)のシーンが書き換えられる。これじゃ脚本家は何なんだって。助監督のころ、いまから助監督室で書き換えてきてよって言われて、そのころは名誉と思って書いてきたり。あんなの脚本家からしたら、ぶん殴りたい(一同笑)。他の人の悲しみとか判らなかったですね。
助監督として(松竹に)入社して、いずれは監督になれるかもしれない。同期は7人で、誰が最初かってからかわれる。ぼくは就職として、入れてくれたから入ったんですけど、周りに言われると浅はかにも負けるかと思ったこともありました。(同期の)前田陽一が最初に監督になって、所内試写で同期で脚本家になった吉田剛さんと見て、先越されたとしょんぼりして。篠田正浩さんにうちで飲もうと誘われて、泥酔しました(笑)。振り返ってみれば、若いときは小さいことで競争心がある。周りも言うし、つい負けたみたいな気持ちもありましたね。
先行メディアは後発メディアをバカにしてる。新聞だってバカにされていたけど。最初のころのテレビは(バカにされるのも)無理もなくて、やっとカラーで白黒と混ざっていて、映像も音もよくない、画面も小さい。でもあまり敵がいなかったですね。ゲームもコンピューターもなくて、まだ何かやろう、人がやっていないことをやろうって活気がありました。
いまはそういう情況じゃない。大変ですけど、作り手が自己軽蔑していたら人も尊敬してくれない。「ぼくを重んぜよ」と、黒人の詩人のラングストン・ヒューズの言葉ですが、内心で思ってた。メディアが全部ダメということはなくて、素晴らしい作品を書く人はいまもいるでしょうし。
『ふぞろいの林檎たち』(1983)は、まだ出始めの人たち(出演者)。『想い出づくり』(1981)は、田中裕子さんもまだあまり知られていなくて、古手川祐子さんと、森昌子さんは有名な歌手ででも演技はまだあまりされていない。スターでなくても企画が通ったんですね。いまはとにかく当たり筋、原作がベストセラーでないと企画が通らない。脚本家にとっては残酷で、何かの幸運でオリジナルを書いて視聴率がよければ道が開けるかもしれないけど、ほんとに厳しい。これじゃいいドラマは生まれませんですよ。
テレビだけだと仕事がなくなる恐怖がある。小説を書いて、劇団の人にこのへん(の時期)に芝居を書くと約束して。(中年になると)パワーが落ちてきたのか、相性が悪くなったのか。それもチャンスだと思いましたね。うんとテレビで売れていたら(小説や戯曲を)書く暇はないですから。
自分で自分を励ますとか、おめでたいですけど、うまくいくと思い込む。ライターは誰も励ましてくれないですから。
どの時代にも厭なやつはいて、なかなかうまくいかない。すいすい行くことはないし、書き終わって「これ何?」って言われると傷つく(笑)。合わない人はいると思って元気になるしかないですね。