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君塚良一の “ぐだぐだ性” について・『遺体 明日への十日間』

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 先日、東日本大震災セミ・ドキュメンタリーふうに扱った『遺体 明日への十日間』(2013)と漫画家の故・赤塚不二夫を描いた『これでいいのだ!!』(2011)という2本の映画を見ていて、力の入った前者に感心しつつも、後者の出来のひどさ(さしづめ『デビルマン』〈2004〉級とでも言うべき)にめまいがした。

 この2本を手がけたのが脚本家の君塚良一であり(『遺体』では監督も兼任)、このつかみどころのない作り手について考えてみたくなった。 

 君塚良一萩本欽一のもとでバラエティ番組の構成作家としてデビューし、テレビドラマの脚本家に転身。『ずっとあなたが好きだった』(1992)で冬彦さんブームを巻き起こし、大ヒットさせる。その後は『踊る大捜査線』(1997)と映画版『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998)、『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003)の脚本を担当、こちらも大ヒット(冬彦さんや『踊る』シリーズにおけるマニアやネットユーザーに対しての蔑視や現実離れした描き方については既に多くの批判が寄せられているので、本欄では触れない)。テレビ・映画のシナリオを執筆するかたわら監督業にも進出し、『誰も守ってくれない』(2009)や先述の『遺体』などを撮っている。 

 君塚はコアな映画ファンで、彼の映画コラム『脚本(シナリオ)通りには行かない!』(キネマ旬報社)はヒット作のみならず多数のマイナー作品を取り上げている。邦画では『鉄砲玉の美学』(1973)、『野獣狩り』(1973)、『宵闇せまれば』(1969)など普通の人はまず知らない作品群を推奨していて、おそらく彼は最先端の流行には、関心がない。従って時代の風を読んでヒットを狙うようなタイプではない。90年代までの君塚は濃厚な映画的教養を武器に、テレビ局なり代理店なりから発注された企画を手堅く仕立てていくテレビ人だったのではないだろうか。『踊る』の企画時に、君塚は『仁義なき戦い』(1973)の資料を参照していたという(「キネマ旬報」2008年12月下旬号)。事実、冬彦さんや初期の『踊る』シリーズはテレビ局側の企画であったことが公にされていて、その枠組みの中で彼の知見がうまく作用してヒットにつながったのであろう(かつて新鮮に感じられた『踊る』をいま再放送などで見直すと、いささか稚拙で子どもじみているが)。

 90年代の終わりになると、そんな君塚作品に変化が生じ始める。詳細は忘れてしまったが、テレビ『世界で一番パパが好き』(1998)はほのぼのしたホームコメディかと思いきや登場人物のぐだぐだとした応酬が全般につづき、焦点のぼけた内容に異物感を覚えた記憶がある。君塚の当時のインタビューでこう述べる。

 

「(『パパが好き』は)日本の若手のインディーズ監督が書くようなものを狙ってみたんですよ。なんとなくおかしい、ちょっとダルめなんだけど、才気で書き飛ばしてみた感じで」(「週刊SPA!」1998年10月7日号)

 

 インタビューによると『パパが好き』の緩慢さは狙いだったのだという…。好事家ならいざ知らず一般の視聴者が「才気で書き飛ば」されたような作品を見たがるとは考えにくいけれども、この時期から君塚は手堅い職人作家という立ち位置を離脱したくなったのだろうか。君塚作品ではその2年後の『ラブコンプレックス』(2000)が異色で、「君塚はここからおかしくなった」というような評言もネットでは散見されるが、少なくとも『パパが好き』の時点で君塚脚本の奇妙な “ぐだぐだ志向” は始まっていたのである。この前後に「せっかちで鋭角的な脚本を書くわたしの硬直した何か」と自嘲するような発言(『脚本通りには行かない!』)もあった。

 賛否両論の『ラブコンプレックス』は序盤こそコメディタッチだけれども、次第に悪夢が現実を浸食してサイコホラーへと転調する文字通りの怪作で、10年以上前の筆者は他の君塚作品に比べれば面白く見た。『パパが好き』のような退屈さがなかった(少なくとも筆者にとっては)ゆえだが、この『ラブコン』では掟破りの異色作をつくろうという合意が当初から製作チームにあったらしいので、シナリオよりも演出家やスタッフ、演技陣の悪乗りが面白かったのかもしれない。

 その後の君塚作品は、記憶にあるだけでもテレビ『ずっと逢いたかった。』(2005)、『役者魂』(2006)、『華麗なるスパイ』(2009)、『踊る大捜査線 THE LAST TV』(2012)と「ダルめ」でぐだぐだとした路線がつづくこととなる。映画脚本も同様で『恋人はスナイパー』(2004)はサスペンスであるはずが緊張感のかけらもなく、特に『これでいいのだ!!』ではリアルなトーンになったかと思えばナンセンスな趣向が繰り出され、散漫さ・見苦しさには呆気にとられる。こんなものを劇場で見せられた赤塚不二夫ファンの心中は…。

 一方で名作マンガを実写化したテレビ『はだしのゲン』(2007)は安定した脚色であったし、ノンフィクションを映画化した『遺体』は実在した遺体安置所をある程度真摯に映像化していたように思われる。

 枷で縛れば堅実な仕事をする、と言ってしまうとつまらない結論だが、ネットを差別しているとか若者嫌いだとかいう問題とはまた別の次元で、ある狂気?を宿した作り手ではなかろうか。

 

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