私の中の見えない炎

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君塚良一 インタビュー(2005)・『MAKOTO』(5)

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君塚:ただ、僕は今回の映画では、それを引きの画で撮るべきだと思いました。それに東山東山紀之さんと和久井和久井映見さんが見詰め合ってくれているのに、カメラをその間には入れられないですよ。でもそれも僕の思い入れとか好みというだけですよ。全員がそうするべきとか、その他を否定しようという気は全くありません。分かりやすいということも大切ですから。でも、今回はやりたくなかったんですね。

 

——普通、幽霊というと怖いものとして描かれますが、その点もこの映画は違いますね。この映画の幽霊たちはとても切ない存在として描かれていますが?

 

君塚:それは原作の世界観ということもありますが、幽霊というのは恨みを抱いて後ろから襲ってきたり、壁から抜けてきたりというばかりじゃないと思ったんです。幽霊がこの世に残っているということは、思いを伝えたい人がいるのに、その思いが伝えられずにいるということ。だから彼らは切ない顔をしてるんだろうなぁと僕は想像したんです。

 で、その幽霊というのはどこにいるのかと言ったら、僕らのすぐ隣にいるもんだと思うんです。ただ、僕らにはそれが見えないのか、目をそらしているのか。そういう風に僕は原作を捉えました。だから、現場ではぜんぶ俳優さんに立ってもらっています。思いを捉えて、僕らの隣にたたずむ幽霊を表現するために。

 ただ、普通に撮ると、やっぱり怖くなってしまうんですよね。だから闇を強めて彩度を落とし、悲しい顔をしてもらって怖くないように撮ろうと思いましたね。その、闇を強めるために“銀残し”という手法を使っているんですけどね。

 とにかく、幽霊は怖い存在ではない、と僕は思ったんですよ。他に怖い映画はいくらでもあるんだから、ギャグをやる霊がいてもいいんじゃないかというくらいの気持ちで。

 

——聞くところによると、実際にギャグをやってもらったそうですが?

 

君塚:やってもらったんですけどね〜切っちゃいました。さすがに、さすがにねぇ〜(笑)。 

この作品はどう受け取ってもらってもかまわない、

とにかく創造して、そして感じて欲しい

——映画監督という仕事は楽しかったですか?

 

君塚:まだ、楽しいとか面白いとか言えるところまで行っていないですね。勉強の毎日で、発見と驚きの連続。でも充実していたことは間違いありませんでした。

 

——『踊る大捜査線』の脚本家・君塚良一を知る人たちに、『MAKOTO』の監督・君塚良一として何か言うとしたら?

 

君塚:この映画は、どう受け止めてもらってもかまわないと思っています。つまりは観た人それぞれに想像して、そして感じて欲しいんです。台詞によるあからさまなアピールなども排除してますし、色々な境遇の人たちが出ています。若い子も出ているし、年をとったお父さんも出ている。とにかく登場人物のうちの誰かの気持ちに自分を置き換えて観ることがきっとできると思います。それが真言という中心人物でもいいし、誰かの気持ちには “乗れる” 気がするんですよ。そして、いろいろなことを想像して話し合って欲しいなぁと思います。かつて僕は高校大学のとき映画を観終わった後、あーでもない、こーでもない、とやっていた気がするんですよね。友達と喫茶店で、そういう風に観てもらえるといいですね。

 

——今後はどんな映画を撮っていきたいですか?

 

君塚:とにかく、映画監督という仕事は今後も続けていきたいと思っています。今後は…そうですね。今回はラブストーリーでしたが、ベタベタのコメディもやってみたいし、ミステリーもやってみたい。ジャンルという視点で考えていきたいですね。今回、僕にとってのラブストーリーとは? ということで作ったように、僕にとってのミステリーとはなんぞや。僕にとってのコメディーとはなんぞや。そういうところにこだわっていきたいと思います。

 

以上、“シネトレ”より引用。