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対談 実相寺昭雄 × 富岡多恵子 “映体と時代 映像の現場から”(1974)(1)

 テレビ『ウルトラマン』(1966)などで知られる故・実相寺昭雄監督は、1970年代にATGで自主制作の映画を撮っていた(『実相寺昭雄研究読本』〈洋泉社〉参照)。そのころに詩人・小説家の富岡多恵子氏と「現代詩手帖」1974年10月号にて対談している。タイトルは “映体と時代 映像の現場から” 。映体というのは映像の文体というような意味で、富岡氏の造語らしい。

 この時期、実相寺監督は勤務していたTBSを退社して撮った『無常』(1970)がヒット。映画『曼荼羅』(1971)、『哥』(1972)やテレビ『シルバー仮面』(1971)など精力的に作品を発表している。

 実相寺監督がテレビの紀行番組『遠くへ行きたい』を演出した際に富岡多恵子がゲスト出演していて、対談はその縁によるらしい。以下、字数の関係上全文ではないが、筆者が面白いと思った部分を引用してみたい。

 

実相寺昭雄の“映体” 】

富岡 ところで実相寺さんのつくった映画でもテレビでも、映体というのが出てくるじゃないですか。あれ何なんですか。映画を見ていちばん興味があるのは映体やわ。技術的なことは知らないけど、同じ人の映画を三本見ると、文体があるように映体があるわけよ。実相寺さんがどんな内容の違う映画を撮っても、映体は変わらないものがあるじゃない。そうすると今、よりどころがないと言われたけど、映体があるってことはどういうことなんでしょう。どこから出てくるのかな?

 

実相寺 だから自分でそれをつくりあげるんですね。形だけで。何とかこれだけはおれのものだという、一つのシンボルマーク。つまり自分の家の家紋をつくるみたいにつくっとくわけです。変化するということに社会的な意味があるとすれば、演出家はその一つつくりあげた家紋から絶対に変わらないぞというところで成り立ってるんじゃないかという気がしますね。映体というのは非常におもしろい言葉だと思うけど、それはいろんなものの結果として出てきますね。

 (中略)

富岡 わたしは文体だったら多少の判断がつくわけ。文体から思想を覗ける。ところが映画は好きやけど、映体から覗くのは慣れてない。だから映体というのはどこから出てくるのかとたいへん興味があって、映像作家をつかまえると映体の秘密を知りたくてそういうことばかりに話をもっていくから、みんないやあな顔してはる。何であんなに違ってくるのかしら。

 

実相寺 監督のもっている映体、基本的に映像でしょうけれど、それができあがるには雑多なものがあると思うんです。個人的な幻影から出てくるものもあるでしょうし。それから映画というのは一つの共同作業だから、直接絵を撮る人間と監督の組み合わせによっても映体は決まってくることもありますね。(以上、「現代詩手帖」1974年10月号より引用)

  

 “実相寺アングル” などと言われる独特の撮り方について、ある意味では自註とも種明かしとも言えるかもしれない。 

実相寺 どこまでがその人の映体かってことをつきつめていけば、うやむやになるみたいなこともありますね。

 

富岡 たまたま実相寺さんはATGだから、かなり自分を出してるものね。だからよけいにわたしは感じるのかもしれないけど。

 

実相寺 ただぼくがつくりあげてきた映体というのはどこから出てくるかとなると、やっぱりそれは個人的な…

 

富岡 暗闇でしょ。そこまで映画批評は言ってないね。

 

実相寺 そういうことに関する映画批評ってないもの。

 

富岡 ないわね。外国ではありますか?

 

実相寺 あるんじゃないですか。映画の成り立ちから、批評の視点として。日本はないですよ。今の映画批評を読んで映体に触れる批評は一つもない。原正孝という若い監督はそういうことに疑問をもってぶつかってるんじゃないですか。(同上)

つづく

 

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