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田村亮 × 清水綋治 × 原知佐子 トークショー(実相寺昭雄展 ウルトラマンからオペラ『魔笛』まで)レポート (1)

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 2006年、映画監督の実相寺昭雄死去。それから5年になる今年、川崎市民ミュージアムにて“実相寺昭雄展”が開催されている。

 実相寺昭雄は、TBSテレビの社員ディレクターだった時代に、『ウルトラマン』(1966)、『ウルトラセブン』(1967)を撮った。1969年にTBSを退社後は、ATGで『無常』(1970)をはじめ、『曼陀羅』(1971)、『哥』(1972)など“芸術ポルノ”とでも言うべき作品群を発表。テレビの紀行番組、音楽番組、CM、舞台、コンサートなどの演出を手がけていて、また小説やエッセイ、イラストまでこなす。音楽番組やコンサートの仕事を手がけた関係から、指揮者の小沢征爾朝比奈隆とも親しく、東京芸術大学の演奏芸術センター教授も務めた。 

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 2011年7月30日、実相寺昭雄展の行われる川崎市民ミュージアムにて、監督映画『宵闇せまれば』(1969)、『無常』(1970)が上映され、出演者の田村亮、清水綋治、実相寺夫人の原知佐子の3人によるトークショーが行われた。  

 『宵闇せまれば』(1969)は、まだTBSの社員だった実相寺監督が、大島渚がテレビドラマのために書いた脚本を映画化した44分の短編である(DVD『青い沼の女』に収録)。 

 夕暮れどきに、退屈していた四人の大学生(三留由美子、斎藤憐、清水綋治、樋浦勉)。女子学生(三留)が言う。 

 

宵闇せまるときは嫌い。窓に夕陽が射すと、人が生きていることが、わびしくて頼りないことに思えてくるの。窓から飛び降りて死んでしまいたくなる」 

 

 ひとりの学生が誤ってガス栓を抜いてしまった。そのとき、男子学生のひとり(清水)が危険なゲームを提案する。偶然外れたガス管によって部屋に立ちこめるガスに、どれだけ耐えられるかの我慢比べをしようと…。  

 危険な状況で議論し合うのが、いかにも1970年前後の、政治の季節を感じさせる。緊張感はあるし、密室で変なアングルから撮る実相寺演出が炸裂しているので面白い。

 『無常』は、姉(司美智子)と弟(田村亮)の禁断の関係を軸に、旧家の陰惨な人間模様を描く。ラストに至って超現実的な展開になるのは印象的(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際の発言と異なる部分もございます)。 

 

 清水綋治氏は、最近ではテレビ『不毛地帯』(2009)、『江』(2011)などで知られるが、実相寺作品の古くからの常連で、『宵闇』のほかに『曼荼羅』、『悪徳の栄え』、テレビ『ウルトラマンダイナ』(1998)などで組んだ。実相寺監督は無関係だが、筆者が幼いころに見ていた『超新星フラッシュマン』(1986)でレギュラーの悪役を演じておられて、そのかっこよさはいまも印象に残っている。今回は清水氏目当てと言っても過言ではない。『宵闇』のときは、まだ24、5歳だったのであろうが、それでもいまの20代に比べると、貫禄が全然違っていた…。 

清水「『宵闇せまれば』から、四十(しじゅう)年ですよ。…何ということでしょう(一同笑)」 

 

 原知佐子氏は、実相寺夫人であり、『あさき夢みし』(1973)、『姑獲鳥の夏』などに出演。『ウルトラマンティガ』(1997)では、悪の宇宙人役を演じた。 

「『宵闇』と『無常』には、私は出ていなくて、スタッフだったんです。車を運転したり、洗濯物を取りに行ったり(笑)」 

 

 田村亮氏は、ロンブーではなく、田村高廣田村正和に連なる田村三兄弟のベテラン俳優である。実相寺作品では、『無常』『曼荼羅』『哥』の初期三部作に皆勤で、『曼荼羅』では清水氏と共演している。その後も『歌麿 夢と知りせば』(1977)やテレビ『青い沼の女』(1986)に出演した。田村氏は、テレビでは堅実で渋めの脇役という印象であったが、ご本人を見ると、正直言ってお三方の中では抜群のかっこよさであった(清水・原両氏、申しわけない…)。 

田村「(清水氏のマイクが妙な音を立てるので)あれ、ガス漏れ?(一同笑)」

 

【エピソード (1)】 

田村実相寺監督とは『無常』(1970)が出会いだったんですが、最初にお会いした喫茶店では5分も話さないうちに、あっという間に帰っていかれました。だから、自分でいいのかなって。

 撮影が始まっても、役者にあんまり説明しないんです。後々までそうでしたね。ただ『無常』のときだけは、役者に手本を見せるために、急に走り出すこともありました」 

「『無常』は若かったからね」 

 

 実相寺監督は、1967年に『ウルトラセブン』を撮っていた頃、一旦離脱して京都の時代劇『風』(1967)へ異動するように命じられた。清水氏との出会いはそのときであるという。 

 

清水「私はテレビの『風』っていう時代劇が(実相寺監督との)出会いでした。もう、変な人で(一同笑)。なんかこう、よそ見しながら、役者を観察してるんです。うまい下手では見ていないで、ただ観察して、突き放している。ほんとに仙人みたいに茫洋としてるんだけど、そんなふうに見えて、俗っぽいところは俗っぽい。

 撮影現場では、突然石ころで遊び始めたり、ほんと変な人でしたね(一同笑)。

 ワンシーンを撮るのに十日くらいかけたりする。息が長いというか」 

「肺活量があるって気がするね。文章でも、一気に長い文を書く人でしたよ」 (つづく)

 

【関連記事】原知佐子 トークショー(実相寺昭雄の光と闇)レポート・『おかあさん』(1) 

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