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虐殺の瞬間・『新藤兼人 原爆を撮る』

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 2012年に100歳で逝去した脚本家・映画監督の新藤兼人。新藤は90歳を過ぎても、映画『ふくろう』(2004)、『石内尋常高等小学校 花は散れども』(2008)、『一枚のハガキ』(2011)の脚本・監督を務め、浅田次郎原作の舞台『ラブ・レター』(2004)を演出し、エッセイを執筆するなど活発に活動していた。

 特に映画作品の充実ぶりはめざましく、『花は散れども』や遺作となった『一枚のハガキ』は若き日の代表作よりも出来がいいとすら思えたが、その晩年に彼の構想にあったのが「ヒロシマ」だった。

新藤兼人・原爆を撮る

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 広島県出身の新藤兼人の作品の系譜として、原爆を描いた路線がある。映画『原爆の子』(1952)、『さくら隊散る』(1988)、テレビのドキュメンタリー『8・6』(1977)、『原爆小頭児』(1978)といった作品群で、水爆実験による死の灰を浴びた漁船を描いた映画『第五福竜丸』(1959)もある。

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五、六万という人間が白熱光線で焼かれ、爆風でふっ飛んだ。アメリカの大統領、開発の科学者チームは、その成功に乾杯し歓声をあげた。

 そのとき広島では、人の首が千裂れ、夫婦が断末魔をあげて焔に焼かれ、親が子が、助け合いながら悶死、全身をピカで焼かれ、垂れ下がった皮膚を引きずった幽霊の行列が西へ東へと助けを求めてさまよい、あるものは焼かれた熱さにたえきれず川に飛びこんで溺死、赤ん坊が死んだ母親の乳房にしがみついて泣いているのだ。助かったと思った人も放射能をあびたことは知らず、やがて、血を吐き髪の毛がぬけて悶死、その数二十万に及ぶ。

 地獄でもこれほどの惨劇はあるまい」(『新藤兼人 原爆を撮る』〈新日本出版社〉)

 

 虚実を織り交ぜて描いた『原爆の子』、セミ・ドキュメンタリータッチの『第五福竜丸』はそれぞれに秀作で、特に後者は史実の優れた劇化である。いま見直すと、その役者たちの布陣にも瞠目する。『原爆の子』には、当時「大映のトップスター」だった乙羽信子(新藤監督の妻)が、大映との契約を蹴って主演。他にも滝沢修北林谷栄多々良純宇野重吉奈良岡朋子殿山泰司東野英治郎芦田伸介佐々木すみ江といった強者が集結。『第五福竜丸』では、無線長・久保山愛吉を宇野重吉が演じ、乙羽、小沢栄太郎千田是也などが顔を揃えた。 

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 テレビ『8・6』では、広島へ原爆を投下したエノラ・ゲイ号の機長だったポール・ティベッツに新藤監督自ら会いに出向いた。『原爆を撮る』ではその一部始終が記されている。結局顔を合わせただけで突っ込んだ対話は実現しなかったものの、淡々とした筆致から緊張が伝わる。筆者は、NHK特集『東京大空襲』(1978)にて、大空襲を指揮したカーチス・ルメイのもとへNHKのスタッフが乗り込んだ場面を想起した。

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 『原爆を撮る』の最後に収録されたのが、原爆路線の「しめくくり」である「ヒロシマ」のシナリオ。「(原爆投下の瞬間)一秒、二秒、三秒の間に何がおこったかをわたしは描きたい。五分後、十分後に何がおこったか描きたい。それを二時間の長さで描きたい。一個の原爆でどんなことがおこるか」という構想だった。

 きっかけは、広島のNHKが制作したドキュメンタリー番組だった。爆風は何十メートル、熱線は何万度と計算され、新藤は「原爆とは、こういうすばらしい力を持った現代の英雄、という感じを持った」。そこで投下の瞬間、その虐殺の実態を描かねばならない、と彼は思い立つ。このドキュメンタリーのタイトルは明かされていないけれども、おそらくNHKスペシャル『原爆投下・10秒の衝撃』(1998)のことであろう(筆者は未見)。

 シナリオ「ヒロシマ」に説話的なストーリーはなく、全編に渡って地獄図がつづられる(映像化されていたら岡本喜八監督 × 新藤脚本の『激動の昭和史 沖縄決戦』〈1972〉のようになっていたかもしれない。同作は庵野秀明監督がオールタイムベストの1本として挙げている)。一連の原爆を扱った作品をつくってきた新藤監督にも「原爆が落ちた瞬間を撮り残している」というのが心残りで、「わたしのほかにも原爆映画はたくさん作られているが、みな投下の瞬間を避けている」との思いがあったそうだが、このシナリオを読んで酷似しているように感じられたのは、名作漫画をアニメ化した映画『はだしのゲン』(1983)である。原作の中沢啓治がプロデュース・脚本を手がけ、『共犯幻想』(宙出版)などの漫画家・真崎守が監督したこのアニメ版は、原作を上回るほど被害を直裁に描いており、新藤の言葉を借りれば投下直後に「ただれた皮膚をぶら下げて幽霊の姿」となった人びとの姿など、幼かった筆者に衝撃を与えた。生前の新藤は、この『はだしのゲン』を鑑賞したのか(見ていたなら、いかなる感想を抱いたのだろうか)。

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 「ヒロシマ」の映画化にあたっては、約20億円の制作費を要することが試算された(市街地のオープンセットなどが必要であるゆえか)。アメリカ映画なら数千万〜1億ドル(約125億円)の巨費を投じた映画もあるけれども、日本映画の予算は大作でもせいぜい2、3億円である。

 「キネマ旬報」2004年1月下旬号にて『原爆を撮る』刊行前の新藤は「ヒロシマ」をぜひ撮りたいと話していたが、2007年のエッセイ『いのちのレッスン』(青草書房)では実現不能であるとはっきり言明された。

 もし「ヒロシマ」がバブルのころに構想されたなら、映画化されていた可能性もある。1970年代から国内ではスポンサーを長年見つけられずにいた黒澤明監督に松竹が制作費の提供を持ちかけ(『八月の狂詩曲』〈1991〉)、『告白的女優論』(1971)など難解な作品で知られる吉田喜重監督の『嵐が丘』(1988)にまでセゾンがらみで莫大な資金が集まってしまう時代だった。企業の“メセナ”の一環として、「ヒロシマ」が陽の目を見ていたかも…。

 

 広島と長崎で一瞬にして23万人を虐殺し、最終的には40万人をも殺めた原爆。70年の歳月が流れたいまも、原爆をめぐる新藤の執念は、私たちを揺さぶらずにはおかない。

 

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