私の中の見えない炎

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池端俊策 講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(1)

  本能寺の変織田信長を討った明智光秀。その生涯を描いた意欲的な大河ドラマ麒麟がくる』(2020)。脚本を手がけた池端俊策氏は『昭和四十三年 大久保清の犯罪』(1983)や『仮の宿なるを』(1983)、『夏目漱石の妻』(2016)などでも知られる名匠である。埼玉県蕨市在住で、蕨市主催による講演会が2023年1月に行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

 『麒麟がくる』の放送はもう3年前になるんですが、市長さんから話してくださいと言われてたんですね。

 脚本というのはストーリーがあったりするんですけど、究極はそこに出てくる人物がどういう生き方をするのかということを書く。そういうことでカタルシスというか人生ってそういうものなんだと判っていただければいいなということで、つまりは人間を描くというのが最終テーマ。ドラマと生涯学習というのはだぶっているところがありまして、人間がどう生きていくのかを考えるという点で本質的に近い。

 

大河ドラマの企画段階 (1)】

 20歳のころから脚本の勉強を始めましたから『麒麟がくる』までは半世紀以上になりますけど。その間NHKドラマの仕事が多くて、真面目なんですねぼく(一同笑)。NHKに行くと空気に違和感がない。もちろん民放でも仕事はしましたけど、いかにも現代というか若い人が局内を肩で風を切って歩いている感じですけどNHKはずしんとしている(笑)。30過ぎたころからNHKで仕事をいただくようになって、45歳で初めて大河ドラマを書きました(『太平記』〈1991〉)。43ぐらいのときに話をいただいて、プロデューサーが三田佳子さんの旦那さんで高橋康夫さん。高橋さんに「いっしょに3年、歳をとろうよ」と言われました。大河ドラマをやると3年かかるんですね。放送は1年ですけど、勉強したりで。『太平記』は鎌倉幕府を倒した足利尊氏が主人公で真田広之さんがおやりになりましたけど、その時代のことは知らないわけですね。私は現代劇を主にやってましたので。ただ学生のころに『私本太平記』(講談社)を読んでいたので、大変リズム感のある文章で愛読書だったですね。40を過ぎたころに「大河をやるとすると何をやりたい?」って言われて、やるなら『太平記』と言っておいたんですね。そしたら数年後に高橋さんが『太平記』をやりましょうと。

 あんまり歳のことを言いたくないんですけど(笑)70になってすぐくらいのある日、NHKのドラマ部長がふたりで話したいと言ってきたんですね。『坂の上の雲』(2009)に私は関係してまして、そのときのプロデューサーの補佐の人が部長になってた。池袋で会って、何の話だろうと。大きな単発ドラマでもやるのかなと思ったら「池端さん、大河をやりませんか」と。一瞬にして高橋さんの「いっしょに3年、歳をとろうよ」という言葉が甦って、計算しちゃう(笑)。どの時代をやるのって訊いたら「どの時代やりたい?」。『太平記』では室町幕府をつくった足利尊氏をやったので、室町時代の最後をやってみたいなと思っていて、戦国時代ともだぶってる。ただ戦国時代のど真ん中で織田信長が大活躍したり豊臣秀吉が登場したりはない。誰が主役だろうとふたりで喫茶店でひそひそ話。信長はないでしょう、徳川家康もないでしょう、もはや。家康はその後(『どうする家康』〈2023〉)やってますけど(一同笑)。それにぼくは秀吉って人があんまり好きじゃない(笑)。

 足利の最初をやったから次は足利の最後をやれば一貫するなと思ったんですね。足利義昭はどうかと言ったら「地味でしょ」と。そこらへんは駆け引きですね(笑)。最後は好きか嫌いか。斎藤道三でどうかとか。以前に大河は平幹二朗さんで斎藤道三をやったことがあるんですが(『国盗り物語』〈1973〉)プロデューサーは「道三が主役は1年持ちませんよ」。そこで明智光秀がひらめいた。光秀は道三の近くにいたわけだし道三が描ける。信長を殺した人間だから信長も描ける。プロデューサーも納得するかと思って光秀はどうかと言ったら「暗いですね…」。信長を殺した人を1年見るかなってことなので、明るくすると(一同笑)。

 私は本をいろいろ読んでて歴史書をある程度は読んでましたから、政権を取った人に都合のいいように歴史書は書き換えられていくものなんですね。古代からずっとそうです。私は『聖徳太子』(2001)も書きましたけど、権力に都合のいい歴史編纂がされてくる。特に徳川時代は300年つづいて、家康に都合のいい編纂を学者たちがみなやった。だから信用できなくて、江戸時代の歴史書は疑ってかかったほうがいい。光秀はろくなことを言われない。信長はヒーローでそれを討った悪役として通ってきてる。ぼくは疑い深くて、信長はそんなにいい人だったか。有名な歴史書の「信長公記」は信長の部下だった人間が書いてる。よく読むと信長の負けた戦のことは一切書いてなくて、勝った戦しかない。そういう書をメインに明治維新後も信長像が描かれてきた。それをひっくり返そうと思いまして。(つづく