私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

池端俊策 講演会 “脚本家の仕事” レポート・『麒麟がくる』(2)

大河ドラマの企画段階 (2)】

 そしたらプロデューサーは喫茶店の片隅で「(『麒麟がくる』〈2020〉の)光秀(明智光秀)役は誰ですか!?」。気が早いね(一同笑)。

 直前に『夏目漱石の妻』(2018)をやってて、漱石役が長谷川博己さんだったんですね。瞬間、彼は光秀っぽいな。神経質そうで。光秀の伝記を読んでもそうだったらしい。神経質でちょっといい男。だけれど41歳になるぐらいまで歴史書には登場してこない、不思議な人。それから50代前半はまで約10年活躍しただけです。ミステリアスで神経質で、ああ長谷川博己じゃないか。プロデューサーも「それで行きましょう」とその場でもう決まっちゃった。大河ドラマは誰が主役をやるかが大事で、他の役者さんも主役を基準に配置するんですね。

 

大河ドラマの準備】

 とにかく1年間は勉強で、室町末期はどんな時代だったか。自分でも本を数十冊買ってNHKも数十冊送ってきて、100冊以上読むわけですね。こういう感じかと判ってきて。1年勉強して、次の1年では大まかに最初の10話でここまで行くとかの構成をつくって。斎藤道三が信長と面談するという有名な場面があるけど、それを光秀がお膳立てする設定にして10話目ぐらいにする。道三は15〜16話で死ぬことにするとか。

 それでドラマ部長が決定して、NHKの理事に上げます。脚本は池端俊策明智光秀をやりますと理事会の許諾を取る。最終的に会長が判子を押す。NHKはそれぐらい紅白歌合戦大河ドラマを重要視してて神経を使う。だけど池端は年齢的に大丈夫かなとか(一同笑)。みなさん体力を気にされて、NHKに行くと「大丈夫ですか?」と訊かれて(笑)。

 プロデューサーが登場して、具体的にキャスティングも進めたり。20話はここまでかなと決めていって「本能寺はどこにしますか?」と。最後に決まってるでしょ(一同笑)。光秀が秀吉と戦って死ぬところまで描かなきゃということみたいで、ぼくは死ぬところが見たくない。無残だし、実際に死骸を見た人は誰もいない。だから本能寺で終わりで、そこから逆算して何話までにこうしようとつくっていくわけです。

 役者さんに出てくださいって言うとき、長谷川博己さんの場合は前年に朝ドラをやってまして。日清食品の社長をモデルにした役をやってて、それで厭だって言われました。半年も関西で撮影して疲れて、帰ってきてもう撮影かと。大変だから勘弁してくれってとプロデューサーが言うので、じゃあ本人に会おうかと。プロデューサーと演出家とぼくと3人で、長谷川さんに来てもらって口説くんですね。「やんなさいよ」と(一同笑)ぼくが中心に喋るわけです。漱石もやってますから、ぼくが言うとしょうがないなって感じにだんだんなってきて。「あなたさ、いまやらないんでどうするんだよ。大河はいつまた来るか判らない」「ホンは早く渡すから」とか。2〜3時間説得して「じゃあやります」って言ってもらって万歳(笑)。長谷川さんがOKしたとNHKの上のほうに言うんだけど、みんな諸手を挙げて賛成してよかったと。いろんなキャスティングで苦労もしましたけど。脚本を読んでから決めるという人もたまにいたりして、でも脚本はまだ書けてませんから(笑)。

大河ドラマの執筆】

 (構造を)いろいろ考えるのに1年ぐらいかかる。それぞれの人物がどういう立ち位置にいて、この事件が起きたときに彼はそこで動いたか、動かなかったか。20〜30名の登場人物が節目でどうしたかという香盤表みたいなのをつくるんですね。何年の何月にこの人はここにいたって調べ上げて。書物を読んで、調べられる範囲でですけど。光秀が戦ってるときに、この男はどこで何してたか。武田信玄は何故戦いに加わらなかったのか。越前を攻めるときに、家康は何故加わったのか。逆算してそれぞれの人物をつくり上げていく。その結果として下書きに入っていきます。

 そういうことをやってるとね、愉しくて仕様がない。歴史学者に見せてどうですかと訊くと「これでいい」と。仮説が全部認められていくわけです。ドラマ上だから許すということだけれど、人間の行動なんて判りませんからね。父親が何年に何を考えて何してたかなんて、親のことだって判らない。いわんや当時の人物たちが、歴史書や手紙に残ってない時間に何を考えていたかは誰にも判らない。そこを埋めていくのが脚本家の仕事。歴史がストーリーをつくってできていますから、われわれがつくるのはその人物が何故、本能寺にまで行くかのプロセスを描いていくことなんですね。

 下書きを始めたのが放送の2年前です。ずっと書いてる。最終話の撮影のぎりぎりまでぼくは書いてました。そういう人は珍しいらしい。3〜4か月前に書き終えてやれやれっていうのが多いらしいんだけど、ぼくは時間のかかる脚本家なんですね。2020年の11月まで書いていたので(最終話は2021年2月7日放送で)ぎりぎりですね。撮影には半月はかかりますから。最終話は長かったですからね。

 下書きは横書きで、万年筆だと縦書きで汚れるんで横で書いちゃう。これで(場内に見せて)1話分。NHKの博物館が取っといてくださいと。製本されればいいかと、生原稿は棄てちゃうんですね。でも遺してくださいと言われて。

 清書したものを蕨までバイク便で取りに来てくれるんですね。それを印刷して、歴史学者たちが4、5人集まって検討会をする。それにはぼくはいない。プロデューサーと演出家だけがいて、こういうことはあり得ないとかやり過ぎだとかチェックするわけです。最初の1〜2話は結構あったけど、5〜6話以降は1本につき2〜3箇所だったようです。あまり聞かされないですね。プロデューサーは気を遣っている。そういう歴史的なことを踏まえて準備稿になる。スタッフは200人ぐらいいますから、全員に渡す。それで準備がOKになると俳優に渡す決定稿になります。

 1本を書くのに大体2週間ぐらいで(全部で)2年かかる。1週間に1話放送するわけで、その倍かかるんですね。計ったように(書き始めた2年後の)11月に終わって、NHKはやきもきしてましたけど。(つづく