私の中の見えない炎

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切通理作 インタビュー “クリエイティブな世界では和光の評判はおおむね高い。群れないけれど、力は発揮する卒業生がいたるところにいる”(2005)(2)

切通:当時和光では部活として作っていた学生新聞がちょうど休刊していて、そういうものをもっと軽くゲリラ的にできないかと思い、ちょっとした学内の面白いネタなどが集まったらすぐに作って、印刷などもいちいちしていると面倒くさいし時間がかかるので、数部だけコピーして学内に壁新聞的に貼りました。インターネットなどもない時代だったのに反響がすぐ伝わってきて面白かったですね。でも「ブンブン通信」を僕がやってたことは秘密なんですが(笑)。小関ゼミにいた仲のいい友達と持ち回りでやっていたのですけど、その子の方がレイアウトのセンスもあるし面白いので途中からは彼のメディアのようになりました。僕がやると、最初は軽いノリでもどうも途中から真面目になってしまうようです。ふざけきれないのが己の未熟さです。

 

――和光に学んだことが今のお仕事につながっているという点がありましたら、お願いします。

 

切通:当時、各大学の郊外化もごく初期の段階だったので、どうしても和光の場合、僻地にあるという思いは拭えず、何をやっても学内だけで完結してしまう感じがあって、雑誌作りもそうでしたが外との接点を作ろうとしました。ところが社会に出て他大学の卒業生に接すると、学閥とは言わないまでも学生の時の人間関係の延長で生きている人が意外にいる。逆に和光に居たことが「自分で行動して、世界を広げる」ことにつながったのではないかと、今では思います。しかもそれでいながら、クリエイティブな世界では和光の評判はおおむね高い。群れないけれど、力は発揮する卒業生がいたるところにいるというのは嬉しいですね。

 

――ところで、和光高校ではどんな授業をご担当なさっているのですか? 大学では?

 

切通:高校では「メディアと文章表現」という授業ですが、国語教育としての作文は他の時間でやっているので、僕はメディアに載るキャッチーな文章や「面白い」とはなにかということを色んなコラムニストの文章を使って考えています。大学では「メディアと若者文化」という授業ですが、6年目の今年は、いま現在の時代だけではなく、学生が生まれた80年代とそれ以前の時代の違い、そしていまに至るまでの経緯を写真集や批評、マンガなど色んな材料を使って検証しています。

 

――現在の生徒や学生たちを見て、昔の自分たちと比べたりなんかしますか? 生徒や学生たちについて、どんな感想をお持ちでしょう。

 

切通学力低下が叫ばれていますが、僕自身内部進学ですし、他人のことは言えません(笑)。ただインターネットの普及で、基礎的な事実調べに役立てるのはいいんですが、ある作家のプロフィールについて、たとえば「個性的な作風で論議を巻き起こした」なんていう箇所までそのままコピペしてレジュメを作ってくる学生がいます。これは他の大学で持っている授業の学生も同じ傾向があるので和光だけのことではないと思います。インターネットに頼らず、まず自分で作品世界の感想を持ってみて、それをたとえば作者のインタビューやコメントなどと照らし合わせてみればいいと思います。そうすると自分の思い込みとのズレがわかる。それが体験となるのだと思います。

 

――最後に、現在の和光に対してひと言おねがいします。

 

切通:自由にやらせてもらっているのですが、やっぱり講師料の問題ですね。僕はいまのところ子どもも居らず、若人との接点が仕事の滋養になると判断していますが、純粋に労働として考えるとオトナの社会人を呼ぶ金額ではないと思います。これは和光だけの事ではなくて、いま講師をしているある大学では僕に声がかかるまでにも何人かの人から断られたと言うので、どんな人が断わったのか内緒で聞いてみたら、いつも新聞に出てくるような名前ばかり。ここら辺の問題は、和光から率先して改革していったらいいんじゃないでしょうか。高い必要はないんです。ある程度人並みの条件を出す方が、人材を手放さずにすむのではないかと思います。高校では資料費、期末手当が出て健康診断が受けられるなど、ある程度の配慮が見られますが、その点大学の方が遅れていますね。

 

――どうもありがとうございました。

 

 以上、和光大学のサイトより引用。