私の中の見えない炎

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上野昂志 × 山根貞男 トークショー レポート・『黄昏映画館 わが日本映画誌』(1)

 『魯迅』(三一書房)や『映画全文』(リトルモア)などの著作、伊地智啓プロデューサーの『映画の荒野を走れ プロデューサー始末半世紀』(インスクリプト)といった編著のある評論家・上野昂志。

 上野氏が長年書き継いだ映画批評を集成した『黄昏映画館 わが日本映画誌』(国書刊行会)がまとめられ、7月に新宿にて上野氏と映画評論家の山根貞男氏とのトークショーが行われた(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。

 

山根「上野さんとはもう50年来なんですけど、ちゃんとふたりで話すのはきょうが初めてなんですよ。週のうちに何日も試写会の後で飲みに行くとかはあったけど、ちゃんと話したことはない。1回だけあったのはぼくの『日本映画時評集成』(国書刊行会)が出たときに「キネマ旬報」で話したことはあったかな。映画の評論集は何年ぶり?」

上野「25年ぶりですね」

山根「何でそんなに空いてるのかと(一同笑)。ぼくがこの本を見ていちばん感銘を受けたのは、これ箱入りでしょ。映画評論集はいっぱいあると思います。だけどぼくの記憶では箱入りはない」

上野「あんまりないですね(笑)」

山根「全集とか著作集とかそういう形なら箱入りはあるけど。この本はすごいんじゃないでしょうか」

上野「25年ぶりということもあるんでしょうけど、分量は多くなることは判ってたんですね。国書で出た神代辰巳さんや大島渚さんの本は大判で、ああいうでっかいのは厭だなと思ってたんですね。読みやすい一段で、そうすると厚みが出てきて、箱に入れたほうがいいかってなっていったんですね」

山根「厚いから箱入りに(笑)。デザイナーと相談して形を決めていったと思うんですけど、1970年から2020年ぐらいまでに上野さんの書いた文章が入ってるんですね。50年だぜっていう(笑)。半世紀ですよ。本をつくる人が著者への敬意によって箱入りにしたんじゃないかな。箱入り娘ともいいますね。箱入りじじい(一同笑)。しかも金箔ですよ。つくり手の敬意を感じます」

上野「(表紙の写真は)好きな写真家の野村佐紀子さんで、彼女はいろんな写真を撮ってて必ずしも映画館の写真だけじゃなくて街を撮ってるんですが、写真集を見てたらこの写真があって。パリでホテルから向かいを撮ったら、たまたま映画館だった。この写真がいいなと思って。書いてる本人も黄昏なんですけど。金箔にして中を開くとグレーで落ち着いた調子というのはデザイナーのおかげで感謝ですね」

【上野批評の特性 (1)】

山根「編集の妙だと思うんですけど、50年の文章をどう並べるかというと普通は年代順ですがそうしないで監督別にしようと。監督の生まれた歳順で、いちばん最初は伊藤大輔で最後は濱口竜介。ちょっと異例の形です。それで伊藤大輔の『鞍馬天狗』(1942)についてこういう面白いところがあるって書いて、それは普通ですが、ついでのように最近の映画についての文章の悪口も言っちゃうんですね。『鞍馬天狗』について押し通すんじゃなくて横に弾ける。やられた人は迷惑だと思いますけど「もうちょっと考えろ、お前」とか歯切れのいい啖呵で。それがいちばん最初に入っています。(最も早く生まれた)伊藤大輔だから偶然に最初に入ったんですよ。だけどこの本をずっと読んでいくと判るんです。この『鞍馬天狗』に書かれたものが1000ページぐらいある本の基調になってる。これが上野昂志だと」

上野「最初のころ、山根さんたちが編集した「シネマ69」でぼくは映画について書き始めたんですけど、そのときも映画について触れながら、どう言ったらいいのか判らんみたいなことをぐずぐず書いてました。そういうふうに横にずれちゃうっていうのは、ふっと思いがそっちへ行く。マキノ(マキノ雅弘)さんの『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970)でも延々、違うことを」

山根「この中ではいちばん古い部類かな。1971年です。「シネマ71」で、この雑誌は「シネマ69」「シネマ70」と題名が変わっていったんですが、ぼくが担当編集者で書いてもらったのを覚えています。『死んで貰います』の高倉健がとにかくよかったって言って、そこから違う方向に行っちゃうというのが上野さんのやり方。上野さんが横に弾けるというか脱線するというか、映画を見て言葉にしようってときにすらすらっと言葉にならないのが大変重要なんだと。そうは書いてないんだけど、そこにこだわる。感動したのは間違いなくて書きたいんだけど、どういう文章にしていいのか判らないんだわとそのまま書いちゃう。いつも基本にあるんじゃないですか」(つづく