私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

春にして君を想う・東君平『はちみつレモン 君平青春譜』『くんぺい魔法ばなし』

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 幼いころに読んだ東君平の詩に「五月の海」というのがあった。東君平の作品はかわいらしいイラストや幼年向け絵本、青春の哀歓をつづった詩など多岐に渡り、筆者は小学生のころによく読んでいたが、対象年齢が少々上のものはあまり理解していなかったかもしれない。感傷的でありつつも現実をさりげなく突きつけられていたように、いまは思われる。

 
五月の海 おだやかな波
 ぼくたちは 砂浜を
 ならんで 歩いた
 遠くに船が見えて
 「あの船に いっしょに乗りたい」と
 ぼくが言えば
 「ヘビを積んでいるからいや」と
 きみは言った
 そんなことないよと 笑ったけれど
 いっしょには 乗らなかった

 五月の海 やわらかな陽ざし
 ぼくたちは 砂浜に
 ならんで 腰をおろす
 遠くに島が見えて
 「あの島で いっしょに暮らしたい」と
 ぼくが言えば
 「ヘビがいるからいや」と
 きみは言った
 そんなことないよと 笑ったけれど
 いっしょには暮らせなかった」(東君平『はちみつレモン 君平青春譜』〈サンリオ〉) 

 「きみ」が表明した「ヘビ」という懸念。「ぼく」は「そんなことないよと 笑ったけれど」結局は別れたことになる。

 「ヘビ」という予期した形態で脅威が襲ってきたわけではないだろうが、また別の苦くて無残な現実があった。現実は、想像とは違った思いがけない形で立ち現れる。

 ショートショートふうの童話・小説のシリーズ「くんぺい魔法ばなし」では男女の別れが幾度か扱われた。その一挿話「ある別れ」でも、標題通りひと組のカップルの別れの日が描かれている。

 

男は、いつの間にかそのまま眠っていた。

 どのくらいの時間眠ったのだろうか、男が目覚めた時、部屋も外も、まっ暗だった。

 深い淋しさと虚しさが、こみあげてきた。

 女は紅茶を飲みながら目に涙を溢れさせた。

 ふたりは同時に電話のダイヤルを回した。

 しかし、残念なことにお互い話し中だった。

 そのあと、男も女も、もう一度ダイヤルを回す勇気が湧かず、

 そのまま永い年月が過ぎた。」(『くんぺい魔法ばなし 小さなノート』〈サンリオ〉) 

 男女は一度別れて、意地悪な形でふたたび別れる。ふたりは思い合っていても、すれ違ってしまう。東君平の意図は判らないが、やはり現実は甘い面もありつつ意外だという含意を筆者は感じた。

 「街角三枚の貼紙」の1篇は「貼紙」の語句とは逆の独白である。

 

“にげたインコみつけてください おれいします”
 ぼくのインコも にげました
 どこへにげたのかは しりません
 なぜ にげたのかは わかります
 ぼくのインコは みつけないでください
 おれいします」(『はちみつレモン』)

 

 貼紙の定型文に収まらない「ぼく」の心情。それも他者から見れば意外な事態であった。あるいはこの主人公にとっても、自らの心は驚くべき現実であるかもしれない。

 それにしても幼いころにピンとこなかった「ぼくのインコは みつけないでください おれいします」の言葉は、いまとなっては心に痛い。

 

「さようなら」

 別れぎわ、ぼくたちは握手をした。

 「さようなら」

 彼女の指輪はみごと中指から薬指に引越ししていた」(『くんぺい魔法ばなし 小さなノート』) 

 

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