東は絵本・童話も多数執筆しており、幼いころの筆者は当然子ども向けのそちらをまず読んだ。子どもや動物の無邪気な動静がつづられた童話につづいて、今度は『心のボタン』(サンリオ)や『はちみつレモン 君平青春譜』(同)といった詩集に進む。すると詩には青春の哀歓や感傷などが描かれていて、童話とは異なるトーンを意外に思ったものであった(童話にもシリアスな話はあるのだが)。添えられたイラストは絵本と同じようにユーモラスで愛らしいのだけれども、詩は青年の日々をせつなく語るものが目立つ。
東君平の詩の中でひとつの世界観で連作された詩がいくつかある。印象に残っている2作を紹介したい。
そのひとつ、『へびとりのうた』(おはよう舎)はへびをつかまえる職業人とへびとの攻防をコミカルに描いている。
「きょうも今日とて
へびとりの思うこと
如何にしてへびを捕らえるか
いつの日もどんな日も
へびの思うこと
如何にしてへびとりを逃れるか
森は鬱蒼と陰鬱に
へびとりは悲し
へびもまた悲し」(『へびとりのうた』)
この作品は1976年に発表されたものだが、その3年前に東君平は「週刊文春」誌上において “イラストレーター廃業宣言” を行っており、絵を描きつつも詩や文章に力を入れる旨を表明した。この時期以後のイラストは1960年代に比べて大幅に簡略化されており、一方で詩のリズムや語彙は凝ったものになっている。自身の創作を転換しようとする、当時の東の意気込みが感じられる。
「サラリ サラサラ
サラリ サラサラ
竹やぶの
竹から竹への
軽業も
サラリ サラサラ
サラリ サラサラ
葦原の
葦から葦への
抜き足も
雀は誤摩化せても
へびとりは誤摩化せない
きょうも雀はへびにのまれる
きょうもへびはへびとりに捕まる」(『へびとりのうた』)
『へびとりのうた』は初版から17年後の1994年に復刊された(河出書房新社)。筆者が見たのはその新装版である。
ちなみに『へびとりのうた』は、復刊からさらに17年後の2011年に曲が付けられた(作曲:木下牧子)。歌唱したバリトン歌手の明珍宏和氏はブログにて「なんかとっても脱力系の絵ですよね(笑)」と評する。東の絵は『へびとり』から1960年代の細密かつ悪夢的なイラスト群、青春の感傷を描いた作品に至るまで幅広く「脱力」の一語で片付けられてしまうのには抵抗があるのだが…。
『へびとりのうた』からさらに10年近い歳月を経て、1980年代に連作詩「猫の黒塀」が書かれた(『心のボタン』〈サンリオ〉収載)。偶然拾われた猫と、彼を見守る「私」。生き物と人間との関わりを描くという趣向は奇しくも共通している。けれども語のセンスや心地よいリズム感、伝わってくるせつなさい情感など「猫の黒塀」は『へびとりのうた』を上回る円熟を感じさせる。
「クロベイは猫の名前
クロベイは生まれて間もなく
死んでいたかもしれない
母さんからではなく
母さんの旦那から捨てられたから
クロベイは拾われて助かった
クロベイは命を掛けて可愛くないた
確かにクロベイはあの時
命を掛けてないていた
拾われた
酔っ払いを送った帰りの天使に
クロベイにとって天使は命の恩人
クロベイにとって酔っ払いも命の恩人
クロベイはなぜクロベイ
黒い塀の所で拾われたからクロベイ
男猫クロベイ
生きている育っている
今 私の家で」(『心のボタン』)
飼い猫のクロベイが母や兄妹のことを思いながら「今の幸せに身震い」している、といった描写もある「猫の黒塀」は、東君平が猫に仮託して自身を語っているようである。
『心のボタン』や『はちみつレモン 君平青春譜』に収録された詩は全般に完成度が高く、詩人・東君平の高揚を告げる。すべて晩年に書かれたもので、詩作が最も充実していた時期に東は亡くなってしまったのであった。
「クロベイは男である
短いしっぽをピンと立てて歩く
股の間にぼんぼりが見える
ぼんぼりとは
ぼんぼりとは
間違いなく男のしるしである
クロベイのぼんぼりはまだ可愛く
小さい
小さいぼんぼりでも
クロベイは堂々たる男である」(『心のボタン』)