私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

押井守 × 石川浩司 トークショー(つげ義春「ねじ式」展)レポート(2)

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【つげ作品のサブキャラクター (2)】

押井「繰り返し出てくるキャラクターは、何かあるんでしょう。「もっきり屋の少女」「沼」のおかっぱの女の子はあっちこっち出てくる。「紅い花」のマサジとかも出てくるけど、他の大人のキャラクターとは何か違う特異な存在かなと。積極的に働きかけるわけでないけど、よく出てくる。特異な存在が少女の形をしているというのは、マンガとかアニメーションでもある種の伝統ですよね。不思議で理解はできないけど、美しいもの」

石川「主人公が何かに出会って、心情的にかき乱されるのは多いですね」

押井「「もっきり屋」の女の子が成長して「長八の宿」のトヨちゃんになったとか言われますけど、作品の中の立ち位置は同じです。ご本人は意識してないと思う。無意識に出てくる何かでアニマみたい。男が描くものって、マンガでも映画でも女性に対して公平じゃない。だいたい1~2種類。他のマンガ家さんもそうで、石ノ森章太郎さんはある時期まではヒロインがみんなお姉さんで、ある時期からは奥さん。結局、タイプというよりも自分の中の何か。小説だとあまりないけど、映像だとイメージの固着が起きちゃう。マンガでもアニメーターでも、女の人の顔はせいぜい3種類しか描けない。おやじの顔はいくらでも描けるのに」

石川「奥さんはマンガの中ではおかっぱですけど、実際はどうなんでしょう(笑)」

押井「太めのむちっとした女性、おばさんはパーマかけてて。極端ですよね」

石川「生活感がある(笑)」

押井「ああいう生々しさの一方で、「もっきり屋」の女の子は人間じゃないミューズというか理想化された何か。ぼくはエロさを全く感じない。おばさんたちはエロいですね」

石川「「夢の散歩」で粘土状にぬるぬるしてる、日傘さしたおばさんが最もエロい。あれ、いいよなあって(笑)。顔が判らないんですよね」

押井「本能的なエロで、リビドーとイコールみたいなさ。

 「もっきり屋」は言葉とセットになってて、「沼」からちょっと進化した。どこの方言だろうって。観念的な何かという気がする。でも夢のパーマのおばさんは、つげ義春って作家以前のひとりの男の性的妄想の産物。昭和30年代の庶民のおばさんはみんなああいうパーマしてて、ぼくにも記憶があるんですよ。東京オリンピックより前の話。でもおかっぱの女の子は時代と関係ない。やっぱり何かあるんですよ。

 脇役には、人間に対する興味がそのまま出てくる。主役は類型でいい。死んだ師匠が言ってたんだけど、主役なんてつまんないもんだと。主役は幹で、咲く花は脇。主役には世界を支える以上の意味はないんだっていう。俳優も、そっちが演じてて面白いはずですよ。トム・クルーズとかハリソン・フォードとか、アメリカの理想みたいな主人公ですけどつまんないですよ。ブラッド・ピットはチンピラやると、いきいきしてるよね。少なくともぼくが知ってる役者さんは、変な役を振ると喜ぶね。サイボーグとか幽霊とか。特に男の人はそう。女の人は厭がるときもあって、知的な役を指定する事務所もありますね」

石川「ちなみにひとり、そのお名前を(一同笑)」

押井「つげさんの作品は、非日常的な脇はいない。日常にひょっこり出てくるけど変だっていう。それがつげさんの面白さで、すごい価値観や思想持ってるとか殺人犯だとかではない。「チーコ」の女性は珍しいキャラクター」

石川「ほんとにつき合うならこの人ですね(笑)。他の人は問題が」

押井「売れないマンガ家を支えて、バーに勤めて生計を立ててる。10代で読んだ記憶があるんだけど、気に入っちゃったんですよ。魚肉ソーセージともやしを夕飯に炒めて食べてねって台詞があって、忘れ難いですね。こういうのは貧乏人の味方っていうか、たんぱく質も補給できるっていうさ」

石川「ひとり暮らしのときはもやしですよね。夜行くと半額になって15円くらい(笑)」

押井「この時代の魚肉ソーセージはまがいもの。炒めると一変しておいしくなる。だから思い入れがあるのか、このマンガの影響で食べ始めたのか判らない。ただこの女の人ともやしはセットですね。ぼくのタイプではないんだけど」

石川「ほんとのタイプはどういう?(一同笑)」(つづく