私の中の見えない炎

おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティス ファクトリー

荒川稔久 インタビュー “癒し系なヒーローを”(2000)・『仮面ライダークウガ』(3)

——そのバランスが『クウガ』の一番面白いところだと思うんですが。明朗快活なヒーローものだけど、ちゃんとリアルというバランスがすごく良くて。

 

荒川 そう言ってもらえると嬉しいんですが、そのせいで毎回スケジュールはキワキワで…。

 

——確かにかなり大変そうですね。

 

荒川 そうですね。今書いてる話は、前に出てきた雄介の恩師・神崎先生が今教えている教え子(小学6年生)が出てくる話(EPISODE25)なんですが、それじゃ「今の小学6年生ってどんな風なの」ってことを調べ始めたら、これがまたきりがなくて。「えらいことになってんだなあ」というか。我々の子供の頃と比べると全然大人な感じだし、かといってそうとも言い切れないところもあるし。例えば小学館の「小学六年生」なんて学年誌でも、僕らの頃にはテレビの『シルバー仮面』がどうしたとか載ってたのに、今じゃまるで「明星」みたいになってますしね。隔世の感があるというか。調べがいもあるんだけど、どう切り取って出していくかが非常に難しい。どういう線でまとめていくか、これから(スタッフ間で)みっちり練りこんでいくわけですけど、かといってあんまり時間をかけすぎると(スケジュール的に)まずいし。 

 

——今でも他の子供向け番組では、子供が出てくるときはけっこう記号的な表現でとどまってるじゃないですか。例えば「不良少年」とか。そういう風にしないというのが、『クウガ』の一番違うところですよね。

 

荒川 かもしれないですね。見た人がどう思うんだろうということなんだと思うんですよ。記号的に出しておいて楽しませるというやり方もあるし、逆に『クウガ』の場合は雄介の一挙手一投足なり一言なりを視聴者の人に「ああ、そうだよね」としみじみ実感してほしかったりするんで、見ていてある程度リアルに感じられる流れにするには、やはり記号的でない表現を選んでいくしかないと思うんです。 

元はマンガ家志望

——荒川さん自身の話をもう少しお聞かせ願えますか。実はものすごい特撮ファンだとかアニメファンだとか…。

 

荒川 ま、そこそこです(笑)。そのへんはまあ『機動戦艦ナデシコ』のサブタイトル等でもお分かりの通りということで。

 

——脚本家を目指されたのはいつ頃なんですか?

 

荒川 シナリオを書こうと思ったのは大学の研究生くらいの頃ですかね。最初はマンガ家になりたかったんですよ。小学校のときは吾妻ひでおが好きでしたね。ちょうど『ふたりと五人』の頃で。それから柳沢きみおの『月とスッポン』とかが好きだったんですけど、それがなぜかだんだん少女マンガにまで波及したというか(笑)。もともと姉がいて昔から「りぼん」とか「デラックスマーガレット」なんか読んでたので下地はあったんですけど。だから大学まで漫研だったんですよ。ただ、女の子は描いてて気持ちいいけど、男を描くのがイヤで「これじゃマンガ家にはなれん」と思って断念したんです。それで、アマチュアで8ミリ映画を撮ったりしてたんですけど、「監督も大変だなあ」というのがわかったりもして(笑)。そこで「家にいて書いていられる」くらいの感覚でシナリオを書こうかと思ってこの世界に入ってきたんです(笑)。

 

——ファン時代に一番こだわりのあったものは何ですか?

 

荒川 子供時代は『帰ってきたウルトラマン』ですね。ちょうど小学校の2年生から3年生の頃で。ガムのおまけのシールとか、バッジとかいろんなものを集めてましたね。内山まもるのマンガが一番かっこよくて、3年生になっても「小学二年生」を買って、『ウルトラマンA』も内山版を読んでましたね。

 

——『仮面ライダー』も同じ頃ですよね?

 

荒川 『ライダー』は僕はあんまり馴染まなかったんですよ。どっちかと言うと円谷派だったんで。

 

——いいんですか、それ書いて(笑)。

 

荒川 高寺高寺成紀さんもそうだったみたいですから。

 

——(爆笑)

 

日常的な空間の恐さ

——でも、今回の『クウガ』には怪奇もののテイストが入っていたりとか、クモ男、コウモリ男で始まったりとか、かなり『ライダー』へのオマージュ的なものが入ってますよね。

 

荒川 そうですね。(最初の『仮面ライダー』を)見直してみて驚いたのは、等身大のヒーローを等身大の感覚で撮ってる恐さが出てたんですね。当時子供心に「ショッカー怪人がその辺から出てきたら恐いだろうなあ」と思いましたし。

 

——なるほど。つづく

 

以上 “SFオンライン41号”より引用。