シンガーソングライターの松任谷由実が、安倍晋三前首相の退任に際してラジオで「私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる、同い年だし、ロマンの在り方が同じ」「辞任されたから言えるけど、ご夫妻は仲良しです。もっと自由にご飯に行ったりできるかな」などと発言し、物議を醸した。
その議論の沸騰には松任谷の存在の大きさを実感するが、今回の騒動は松任谷由実とはいかなる作家であるのか、思いを致すきっかけになった。
松任谷が売り上げ全盛期の1989年に語った「あたしが売れなくなるとしたら、日本の社会が何か変わるときだと思う」「例えば、都市銀行がつぶれるような」という言は、よく知られる。
予言通りに1990年代に銀行や証券会社の経営破綻・廃業が発生し、松任谷のセールスも伸び悩むようになった。ただしバブル期の栄華には及ばないというだけで、90年代に発表した新作アルバムも100万枚以上を売り上げている。急落は2000年代以降だった。
「だって私は最初から「真ん中の音楽」だったんだから」(「朝日新聞夕刊」1992年12月4日)
「私自身は中庸でいることが大事なんだと意識してきたんです。これは実に難しいことでね、両端にいると、見つけやすいけど続けるのが大変。中庸でいると、見つけづらくて、しかもいつも中庸でい続けるために常に動いていなければならない。でも、スタッフを含めて中庸を続けてきたことが、時代の象徴のようなことにつながったんでしょうね」(「朝日新聞夕刊」1997年12月15日)
「“今度のアルバムは前作とはこう違います”っていうのは、誌面的には必要だと思うんだけど(笑)、結局のところ本質はずっと変わってないんですよね。ただその本質は変わっていないということをすんなりその年、その時に受け入れてもらうために、本質の周りにある部分をすごく変化させてるんですよ。たとえば、マクドナルドのハンバーガーの味ってすごく変わっていってるでしょ? 甘くなってたりスパイシーになってたりして、上陸当初に比べたらすごく変化してるんだけど、食べた時には“あぁ、マクドナルドだ”って感じる」(「ぴあ」1999年11月22日号)
松任谷自身は初期作品から一貫して「中庸」であり、そのための変化を厭わないと強調する(この「中庸」発言は、先述の「都市銀行」に並ぶ重要性があるように感じられる)。結果的に、照り陰りはありつつも70年代から90年代に至るまで、松任谷は自他ともに認める「ポップスター」として君臨してきた。
それでは何故21世紀に入って売り上げがさらに落ち、アンシャン・レジームの烙印を押されてしまったのか。
宮台真司・大塚明子・石原英樹『サブカルチャー神話解体』(ちくま文庫)は聴き手の嗜好に変化が生じており、松任谷による物語性の強い歌詞が、読み解かなければならない文脈より瞬発的な感情を歌う後続世代のシンガーにとって代わられたと分析する。
また1994年の「春よ、来い」が音楽の教科書に採用されて高い評価を受け、卒業式の定番曲にもなっていったことで、逆に松任谷の現役感がリスナーの間で薄れたなどとも言われる。
だが、そのような聴き手の好み・意識の変容だけが原因であろうか。
一億総中流の幻想が崩壊した2000年代以降の日本では、個々人の生活スタイルも信条も細分化され、何が平均なのか、どこが標準なのか実に不分明になった。情報のあふれるSNSでは意に沿わない者を排除し、自分好みの言説に囲まれたタコツボ状態も可能である。かかる複雑な情況下で「真ん中」の「ポップスター」は、容易には成立し得なくなっている。
少なくとも表面的には「両端」でなく「中庸」であったはずの松任谷は、前首相に好意的なコメントをして、炎上を引き起こした。選挙で連勝し、戦後最長の政権を誇った政治家にシンパシーを表明するのは当然「真ん中」の行為のように思えるが、多くの反撥を買ってしまう。おそらく安倍夫妻と面識があるゆえに退任をねぎらったに過ぎないのだろうけれども、その発言は右派とみなされる。松任谷の衰退は、わが国から「中庸」が消失していき、おそろしいほどの混沌が現前している象徴にほかならない。もっとも「中庸」を標榜していても当初から「本質」は権威志向であったのかもしれないが…。
20世紀後半に、邪知深いほど巧みに時流をつかんで圧倒的な支持を受けた松任谷由実。この天才は歳月を経た21世紀に、どこに軸足を置いていいのか判らなくなっているのであろうか(今回の発言をめぐる激しい賛否両論を目にすると、いまの日本の分断・混乱がもはや誰の目にも明らかで、左右両派の焦燥が生まれているようにすら思われる)。
「あなたの気持ちはもう戻らないと わかってるかもしれない
それでも私は強がりを捨てずに 灯りを探すの」(「灯りをさがして」)
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