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是枝裕和 トークショー“表現の自由が危ない!”レポート(1)

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 映画『誰も知らない』(2004)や『海街diary』(2015)、『海よりまだ深く』(2016)などを精力的に撮っている是枝裕和監督。

 是枝監督はテレビ出身で、かつてはドキュメンタリー番組の演出を手がけ、『しかし…福祉切り捨ての時代に』(1991)、『日本人になりたかった…』(1992)、『心象スケッチ それぞれの宮沢賢治』(1993)などの優れた作品がある。近年はブログで放送法について長い評論を発表し、放送と表現についての発言も多い。

 6月に、是枝監督のトークショーが日比谷であった。聞き手は、坂元良江プロデューサーが務める(以下のレポはメモと怪しい記憶頼りですので、実際と異なる言い回しや整理してしまっている部分もございます。ご了承ください)。 

映画を撮りながら考えたこと

映画を撮りながら考えたこと

是枝「ほんとは映画だけつくってたい。映画をつくってるのが愉しくて。ただ自分を育ててくれたのがテレビで、どうテレビを成熟させていくのかに責任もある。

 BPO放送倫理・番組向上機構)に籍を置いて7年目になりました。テレビマンユニオンに入るきっかけが村木良彦さん。学生時代に薫陶を受けたというか、あこがれて。村木さんは亡くなるまでBPOの代表で、村木さんが亡くなって、その代わりにと言われて断れなくて。(つくり手として)BPOはめんどくさいと思ってたんだけど、入ってみていろいろ議論すると…。当時は隣りに立花隆さん、吉岡忍さんがいて、月に1度、3~4時間議論して勉強になった。

 BPO自体が規制するためにあるのでなく、放送に権力が介入するのを阻止する防波堤。そういう組織であるという意識のある方が集まってると中へ入って判りましたし、実際に(テレビ番組を)つくっているときに放送法を意識しませんでしたが、その議論の場でものが言えるようになるためには学ぼうと。ちゃんと勉強しました。学者じゃないし、ものをつくりながらなので限度があるんですが」

 

放送法と権力 (1)】

是枝「ブログを書くのは結構な労力が…。原稿用紙で70枚くらい。自分の事務所のスタッフに国会図書館に行ってもらって、資料集めて。自分ひとりでやってないけど、それでも結構大変。自分でも勉強できて、高市高市早苗)が言ってる“停波”がいかに無謀かくらいは理解できた」

 

 放送法を根拠に自民党は放送局に圧力をかけているが、是枝氏は放送法とは言論を守るためのものだと主張する。

 

是枝安倍晋三、さんをつけるの厭だな(一同笑)。政治家の人たちが(放送法を)理解していない。つくり手にとっても武器になるのに。

 放送法は制作現場を公権力から守る楯で、日本国憲法の精神をたたえてつくられてる。理想主義で書かれてるのに、誰も読まない。第1条の“放送の不偏不党”は、それを保障する主体がどこにあるのか。公権力が保障しているのであって、放送局に課せられているのではない。つくられた当時から誤解があって。でもここまで読解力のない人が政権に就いたことはない。大本営発表の反省から来ているので、第2条も権力と放送が一体化することを警鐘してる。総務省でなく、電波管理委員会という非政治的団体が放送を管理する。ただし1952年に書き換えられて、放送を司るのが政府だと思い込もうとしてる。

 4条の倫理規範は、当初44条で下位だった。権力が放送を管理するために4条に格上げ。1条には日本のメディアは不偏不党とあって、(政治家は)それをニュートラル、真ん中と捉えてる。でもインディペンデントという意味が本来的な精神。ニュートラルとは全く違う概念です。権力からの干渉を阻止してる。権力も現場もそれを間違えている。

 (ブログでは)歴史修正主義と書いたけど、彼らはそもそも歴史を知らなくて、修正してるとも思ってない。1993年の椿発言くらいからしか認めてない。93年以前に担当官庁がどういう意識を持っていたかさかのぼろうとしない。1993年に『ニュースステーション』が偏向報道したのをきっかけに報道を規制しようという気運が高まって。

 本来であれば現場の人間が声を上げるべき。行政が放送法に違反していると。それが日本の放送局の…。難しいところです。

 権力の介入は、テレビができてからすぐ起きてる。当時は裏でやってたことがいま表に出てきて、恥ずかしげもなくやるようになった。

 放送というのは誰のものか。60年代といまとで、私たちの中でも公権力の中でも変わった。テレビは公共のものという考えが成立していたけど、いまは国のものという意識が公権力にはある。NHKは公共でなく国営放送。でも私たちの意識も変わってきた。質的公平性と量的公平性を混同してる。2つの考え方の紙数を同じにしたからいいというのは怠慢。見た人の思考を深めるために両論併記するのであって、(街頭インタビューでは)街頭にひとつの考え方の人しかいなければそれでいい。スタジオに安倍を呼んで反論させればいい。森会長の発言は真実の追求を放棄している。放送法は番組に対しての話で、人に対しては言えない。彼の存在自体が放送法違反(笑)」(つづく

 

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