——今回は、一条薫という刑事をもう一方の主人公に据えることで、物語の半分が警察ドラマになっているわけですが、これはなぜですか。おかげでぐっとリアリティが増しているわけですが。
高寺 ひとつは、『仮面ライダー』の本郷猛と滝和也の見事なコンビネーションというのがあったわけですが、あのなんともいえないかっこよさがやりたかったんです。新しい仮面ライダーで何をやりたいかと考えたとき、あれがなぜか僕の中にあったんですね。友情ものをやりたいと。それがあって一条が出てきたんです。
おかげでリアリティも出てきたわけなんですが、例えば、「戦隊シリーズ」の場合は、すばらしい嘘として、巨万の富を抱えた組織があって、〇〇博士が「こんなときのために」と言って一人でなんでも用意してくれる。あれはあれで“けれんみ”があって気持もいいんですが、リアルな人間社会としてはやはり嘘になってしまう。そこで、一条だけでなく、桜子(考古学研究)、榎田(科学警察研究所)、椿(監察医)といった各分野のエキスパートが五代をバックアップする体制を作ることで、いわゆる “〇〇博士” を分業させて描いているんです。
——変身ヒーローもので、警察側にあれほど大勢のレギュラー登場人物がいるというのは、他にないですよね。
高寺 そうですね。ここまで作品世界に深く————というか非常に近いところで存在することになったきっかけは、たぶん、文芸の大石(引用者註:大石真司)さんがトライチェイサー2000(クウガの乗るバイク)を次世代の新型白バイという設定にしたあたりからだったと思います。そうなって、今度はシナリオの段階で、雄介が一条と警察無線で連絡をとりあうというシーンを荒川(引用者註:荒川稔久)さんが作られて。番組にとっては、先ほどの“〇〇博士”同様、警察が、現実の社会における “〇〇防衛チーム” の役割を果たしているんでしょうね。ですから、そのチームのメンバーが多く顔を出すことになっているんじゃないでしょうか。
——ヒーローと白バイという取り合わせは斬新ですが。
高寺 これまでは、古代のヒーローというとすべからくそのメカも古代のものということの何故かなっちゃってたんです。でも実際は、どう見てもそうは見えない、ちゃんとスポークやエンジンが見えてる今のメカがベースになるんです。つじつま合わせも、スタッフの気休めみたいになってしまう。そこのある種の “わりきり” があったわけなんですが、そうなっちゃいけないと。文芸の二人はそういう矛盾にものすごく厳しいんですよ。おかげで今の世界観が貫けていると感謝しています。
——戦いとは関係のない、私生活でのまわりの人々が大勢登場するところも、アメコミのスパイダーマンとかスーパーマンにちょっと似ていて、画期的な気がしたんですが。身の丈にあった、自分たちの生活をベースにした正義の話であるというところがいい。親しい人たちには自分がクウガであることを隠さないとか、Tシャツに自分でクウガのマークを縫い取りしていたりとか、あのへんのディテールは米テレビシリーズ『新スーパーマン』とも共通しています。
高寺 すみません。そのへんの作品は不勉強で見てないんですが、ただ “ヒーロー番組における正義” っていう『クウガ』の大命題をどう描いているかということでしょうかね。
——日本のヒーローは、復讐とか、個人的な理由で戦っている人が多いじゃないですか。アメコミのヒーローは、もっと大きな正義のために戦っている。そういう意味では、クウガの五代雄介は、アメコミ的というか、日本にはあまりいなかったタイプではありませんか。
高寺 世界中の人々が楽しく仲良く暮らせれば、ということをキレイごとで終わらせたくないんですけど、それは人ひとりで到底できることじゃない。じゃあ、だからといってあきらめちゃ元も子もない。ひとりひとりの人が自分のできる範囲でやっていれば、少しはいい社会になっていくかも、ってことを感じてもらえればと。つまり、正義って大義名分なんじゃなくて、自分なりにがんばれる、人として正しいことの積み重ねなんじゃないかって。だから、難しいことじゃなく、楽しみつつでいいんだって。自分の笑顔で人を笑顔にしていく————それで、世界に平和がおとずれる。われわれの現実でそれができるかどうかはわかりませんが、見てくれていた人たち次第では、そうなるんだってことですよね。
——地上波テレビだし、仮面ライダーだし、作れば当然、社会に対して影響力もあるし責任もある。その中で、よいフィードバックを社会に与えていこうという意志は強く感じられます。13~14話の、グロンギになりたい青年のエピソードなんか、非常に現代的な話でメッセージ性が高いですよね。
高寺 テレビという媒体でそんなことができるのか、おこがましいとは思いながら、やはり、こんな時世をこれから生きていく子供たちには、最低限のやさしさや思いやりを見せたいと思っています。
そのやさしさとか思いやりというのは、まさに脚本の荒川さんや主演のオダギリジョーの中に強くあるものなので、ある意味、説得力をもって伝わるのかもしれませんね。ただ、このお二人に限らず、とにかく幸せなことに『クウガ』のスタッフは真面目な方が多いです。それにみんな前向きなんです。そういう意味では、ほんとうにこのスタッフとキャストに参加してもらってよかったと思っています。(つづく)
以上 “SFオンライン41号”より引用。