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対談 別役実 × 岩松了 “2大作家がチェーホフを語り尽くす!”(2004)・『千年の三人姉妹』(3)

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“何でもない時間”を最初に劇の俎上に上げた人

岩松 やっぱりチェーホフは、演劇の流れから言うと、かなり画期的な劇作家になるんですか?

別役 そうでしょうね。僕は、チェーホフは典型的な近代的ドラマツルギーからこぼれる作家だと思っていて、そこの部分が豊かなのかなという気がしているんだけれども。イプセンみたいにガチガチの近代劇だと入り込みようがないんだけど、チェーホフは不条理劇をやってる人間にもすぐに入れるところがある。その辺がほかの近代劇の作家たちに比べると、ちょっと違うんじゃないかな。

岩松 19世紀的なドラマの構造と、不条理劇の境目に位置しているような感じなんでしょうか?

別役 境目っていうかね、僕の考え方では器近代劇っていう感じがする。チェーホフの芝居は、器は近代劇だけど、中身の人間模様については不条理劇そのままでも通用するなぁと感じていて。ベケットが壊して以降、現代劇には器がないんだけど、器が欲しいときもある。そういうときに使えるのがチェーホフなんじゃないかな、簡単に言っちゃうと。

岩松 器にも、使える器と使えない器があるでしょうから、そう考えるとチェーホフの器は、やっぱり使えるってことなんでしょうね。

別役 でしょうね。イプセンなんかになると、器と中身が完全に頑丈なものとして結びついちゃっているから、何か現代的なものを入れようとすると、それに縛られちゃうと思うんだけど、チェーホフの場合は縛られないでやっていける感じがある。まあ、器って何なの?って言われると、またわかんなくなってくるわけなんだけど。

岩松 僕は以前、人にチェーホフの凄さを聞かれると「右にも左にも行かない時間をとにかく選んで書いているところに偉大さがあるんです」ってよく言ってたんです。イプセンなんかは、何かを選んでいる時間にもうすでにドラマの方向性が決まっている気がするんですね。まあ、読んでないんで、想像なんですけど(笑)。一方、チェーホフの芝居には、何かが進行し始めても「どこに行くかわからない」っていうようなセリフが出てくる。つまり、どこに行くかわかっている人間たちの物語じゃないんですね。それは、チェーホフには“どこにも行けない時間”を豊かだと感じる力があったということで、煎じ詰めて言えば、人を殺そうが、退屈しようが、人間の価値は変わらないっていうような思想に基づいているんじゃないかと、僕は考えているんです。

別役 “どこにも行けない時間”ね。

岩松 『かもめ』の二幕なんて、みんな「退屈だ」って言ってるんだけど、馬が一頭足りないことで喧嘩になるじゃないですか。つまりそこには“退屈な時間というのは何に支えられているか”が描かれていて、そう考えると、たぶんそういう“何でもない時間”を劇の俎上に上げた最初の人が、チェーホフなんじゃないかな、と。これも想像だったりするんですけどね(笑)。

別役 いや、おそらくそうだと思うよ。退屈な時間だけがポンと置いてあって、そこがどうなっているかの配置だけが示されているからこそ、現代劇のドラマツルギーも盛り込めるわけだし。その点『かもめ』に関しては、全体としてけっこう近代劇的な作りになってるんじゃないかな。因果律があって、退屈じゃない時間でドラマが収束していく。それで僕は、いちばんやりにくさを感じてるんだけど。

岩松 そうですね。たぶん時間の流れも『かもめ』がいちばん長いんじゃないですか。二年後に帰ってきたニーナとか出てくるし、思い描く印象として時間の流れが確実にありますね。じゃあ、次にチェーホフをやるとしたら、やっぱり『桜の園』ですか?

別役 そうね。『桜の園』がいいかな。何にせよ、またやりたい気持ちになってますよ。 

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

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岩松 僕は今度、「ポリーナの忘れたこと」っていう芝居を書きたいなと思っているんです。『かもめ』に出てくる、好きな男に同じことを繰り返しているポリーナとマーシャっていう母娘の話。

別役 そういう作り方もいいよね。さっきのトゥーゼンバフの話もそうだけど、原作を抜け出した人物で新たなストーリーを考えるのは面白そうだ。

岩松 でしょう? とにかく、なんだかいじくりたくなるんですよね、チェーホフって。また、人によっていろんな解釈がされていたりするし。きっとそこが、いちばんの魅力なんでしょうね。 

 

以上、 『千年の三人姉妹』プログラムより引用。

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